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YouTubeチャンネル開局

これまでの演奏を多くの方にお届けできるよう「合唱団よびごえ」のYouTubeチャンネルを作成しました!ぜひご覧ください!
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2022.9.21
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伝わる・揺さぶる!文章を書く

タイトルからしてもちろん「文章の書き方」に関する本ですが、文章を書くとはすなわち言葉を紡ぐことであり、それは人と言葉を交わすコミュニケーションにおいても重要なスキルであると考えます。
自分が書いているこの文章は、読む人にどのような考えをもたらすことが出来ればその機能を果たしていると言えるのか。私が書いているこの文章は、この本に興味を持ってもらうことがゴールでしょうか。
本は5章で構成されています。
第1章では「機能する文章を目指す」ためにはどのような要件を抑えれば良いのか、第2章ではそれらの要件についてどのように考えれば良いのか、第3章では実践編として日常生活のさまざまな場面で表れる文章を、第4章ではより高度なテクニックを、そして最後の第5章ではコミュニケーションについて書かれています。
何か文章を書くときに、道筋に迷ってしまう人。どう文章を広げていけば良いのか困ってしまう人にオススメ出来る本だと思います。

文章を書くのは自分の内面と向き合うようで、私はとても好きです。が、昔の方が勢いよく色々書けたな、とも感じます。
文章を書くことについて、また改めて考えてみたくなりました。…
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2019.9.23
no title

歌唱時の正しい姿勢って??①

どんなジャンルの歌を習得するときには、いつも考えなくてはいけないことの一つに姿勢があります。 姿勢は呼吸をコントロールするためにもっとも重要となる観点です。 歌にとって良い姿勢をとることができれば、もっと自由に、力みから解放される発声に近づくことできると言えます。 今回はその歌の姿勢についてお話ししようと思います。 歌唱時の姿勢について、様々な先生が言及してきたと思います。
(皆さんもよく注意されたことがあるでしょう!) 「猫背にならず、姿勢を正して、胸を張り、顎を引いて・・・」 もちろんこれは間違ってはいないのですが、かなり大雑把な説明です。 さて、歌を歌う時にはどのような姿勢で歌えばよいのでしょうか。 それは身体に負担をかけない姿勢です。(大雑把!とクレームが来そう・・) 「負担をかけない」というと、とてもリラックスした状態を連想してしまうかもしれません。 負担をかけないというのは、
無駄なところに力の入っていない、調和<バランス>のとれた状態であるということです。…
memo
2019.11.17
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日本の合唱作品に登場する特殊な記号たち

合唱は従来、いくつかのパートがそれぞれの音程やリズム、言葉を担い、それらが歌い手の身体を通して同時に再生されることで空間にハーモニーが生まれ、時には言葉の掛け合いが生まれるような音楽形態、と大変簡素ながらもまとめることができるかもしれません。それが、時代の流れの中で、創作者独自の哲学によってもたらされた様々な特殊唱法/奏法を取り込み、新たな体験へと拡張していることは、作曲家たちの生み出したその豊かな”記号たち”が示していると思われます。
そこで、以下では、日本の合唱作品における特殊唱法/奏法の一端を紹介することとします。これらの記号からは、合唱の含有するどの要素に対して作曲家が拡張の可能性を感じていたのか(例えば、拍子、声の使い方など)が読み取れるとともに、なぜそれらを開発し、採用しなければならなかったのか、という問いを与えてくれます。
「知らない記号=怖い=演奏しない」という思考にならず、どうか、日本が築いてきた合唱という体験の多様さと向き合うヒントにしていただけると幸いです。
 
<拍子に関するもの>
1.『ひみつ』「ひみつ」(谷川俊太郎/鈴木輝昭)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、数字で示しています。その基準となる音符は、ここでは四分音符です。

2.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、分数の形で示しています。

3.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化が各小節の左上に分数の形で示されていますが、そこで用いられているのは「付点8分音符分の1」「付点8分音符分の1プラス8分音符」「8分音符×2」など、多様です。

 
<時間に関するもの>
4.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
拍子の代わりに、この作品では3秒ごとに基準となる印が示されており、それを基準に音楽を進めていくことが記されています。指揮者がストップウォッチを持ち込んで演奏することがあります。

5.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
全休符の代わりに、ひし形に斜め線の入った記号が使われています。単純な休符ではなく、描かれている情景や音楽の流れにあった「間」をとることが意図されていると考えられます。

 
<音の伸ばしに関するもの>
6.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
倍全音符に似た記号が書かれてありますが、これは次の指示があるまで伸ばし続けることが意図されている、と考えられます。

7.『梟月図』「何が泣いただろうか」(宗左近/鈴木輝昭)
ここでは「B.O.」「B.F.」という、2種類のハミングが示されています。「B.O.」から「B.F.」、またその逆という組み合わせは音量の増減を意図して使用される場合があります。例えば、「B.F.」(口を閉じたハミング)から「B.O.」(口を開いたハミング)へと連続して歌唱すると、同じハミングでも、閉じていた口を開けることになるため音量も自然に大きくなります。この楽譜では、「B.F.」から「B.O.」になることで音量が自然に増すことが強弱記号でも示されています。(piu P から Pへと指示が変化している。)
ハミングについては、この他、様々な表記がなされることがあり、「B.F.」と同義なのは「Hum.」「m」、「B.O.」と同義なのは「ん」「n」等があります。

8.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
黒塗りの全音符にフェルマータが付記されており、そこからナレーションのセリフへ矢印が示されています。これは、ナレーションが発音し終えるまで音を伸ばし続ける、という意味であり、その後は、ナレーションが終わるとそれに反応して次のフレーズへとつながる、という指示になっています。

 
<声の使い方、表現に関するもの>
9.『合唱のためのコンポジション14番』「KANJO」(間宮芳生)
黒く塗りつぶされた部分は、可能な限りその範囲の音を埋め、クラスターを作るよう意図されいています。写真の左側のクラスターの場合は、例えば、「レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ、ド」をすべて発声することになります。右側のクラスターでは、最初は1音から、次第に音が重なり、ソの音までクラスターが広がるよう指示されています。
このようなクラスターの書法は『原爆小景』「日ノ暮レチカク」(原民喜/林光)でも見られます。

10.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
ここでは、声楽的な歌唱よりも話すような声の使い方で、例えばテノール1であれば、およそシの音の高さで「n」を発音し、4拍かけて低いラの音辺りまでグリッサンドで下降し、その後「no」「mo」「no」「mo」を繰り返す中で次第にささやき声のように音量を落としていくよう、指示がなされています。

11.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)…
essay
2022.10.6
no title

オンラインレッスンはじめます

このessayのページでしばらく更新していましたが、
私は音名と階名を切り分けて、相対音感に注視するソルフェージュレッスンを行っています。

なぜ絶対音感ではなく、相対音感なのか。
それは、音楽が「音と音が相対的に結びついて人間の感覚に働きかけるもの」であり、絶対的な音の高さよりも、相対的な音の関係性の方がより重要視されるべきだからです。

例えばカラオケでキーを変えたとしましょう。
確かに雰囲気は変わりますが、キー変更によってその曲がその曲でなくなってしまうことはありません。
それは、音と音の関係性が保たれているからです。

音同士の関係性が保たれている限り、その音楽は本質を失いません。
そして、相対音感を訓練するソルフェージュとは、その本質を捉え、操れるようになるためのものだと考えています。

訓練のツールとして、「階名」を用います。
階名とは、音階につけられた名前を指します。言葉としては誰もが馴染みのあるであろう「ドレミ」を使用します。
ただし、ここでいう「ドレミ」は、特定の高さの音を指しません。

どのような高さの音でも「ド」と定義します。そしてそこから、音を連ねていく訓練をします。
巷では「移動ド」と呼ばれることが多い手法です。

レベルは受講生に合わせて対応します。
こういった練習が全く初めての人は、まずは歌い真似から始めて、次第に頭の中に「音階」を構築出来るように訓練していきます。
同時に、さまざまな楽譜を用いて「移動ドで音楽を読み取る方法」を学んでいきます。
合わせてリズムの読み取りも訓練します。

レッスンの第一目標は、
・自分で楽譜を読んで音を取ることが出来るようになることです。
これが出来るようになれば、自分のペースで新しい曲を好きなように勉強することが出来ます。

音大受験準備等は現時点ではオンラインではお引き受けしない予定です。
受験生であったとしても、それとは別にレッスンを受けたい、という場合はもちろんOKです。

企画自体立ち上げたばかりなので、とりあえずにはなりますが、
レベル関係なく、料金は一律、30分1,500円、支払い方法はPayPayを使用する予定です。
基本的には一回ずつのお約束ということで、1回だけやってみたいも全然OKですし、やってみてから続けるか決めるもOKです。
おそらく私の都合で、毎週特定の時間にお約束することは難しいような気がします。

レッスンにはZoomを使用します。
画面に資料を写して使用することもありますので、スマートフォンよりもタブレット端末やPCから接続できた方が便利ではあるかと思います。

課題はまずは私が作成したものを使用しますので、準備いただくものはありません。
プリントアウト出来るようでしたら資料をお送りしますので、手元に印刷していただけると便利かと思います。
定期的にある程度の期間レッスンを希望される場合は課題集を購入していただいた方がメリットが大きいので、その際にご案内します。

レッスンの希望、質問などあればホームページの上にあるmessageからご連絡ください。
質問いただいたものやレッスンの様子など、追記できるものがあればまたここに追記していきます。…
yobigoe
2023.3.10

【2022】よびごえ日誌 メッセージ(堀切)

こんにちは!4Aの堀切です。
 
今回のよびごえ日誌は、書きたいことは沢山あるのになかなか書き進めることができませんでした。それは、書きたいことを文面にした時に、言葉が気持ちから離れていってしまうような感覚が強かったからです。書くために書いているような感覚、という感じでしょうか。普段の振り返りでは、直接話しているという即興性とライブ感で素直なことが話せますが、文章にするというのはそれ特有の難しさがあると感じました。ただ、今回の本番とこの4年間の振り返りを記録として残しておきたいので、できるだけ飾らず素直に書けたら良いなと思います。
 
まずは、今回歌った2曲について書きたいと思います。
今回歌った「Cikala le Pong Pong」と「Soleram」は共にインドネシアの曲ということで、そのアプローチがとても難しかったです。今、私自身やよびごえ全体としての曲に対するアプローチを振り返ると、共通性と固有性という視点が重要だったのではないかと感じます。私は、「Cikala le Pong Pong」を理解するにあたり、日本や自分との共通性に先に注目し、それを基盤として固有性に迫っていったと思っています。少し具体的に書くと、まず日本の結婚式のしきたりや様式と曲とを比べ、相手の家を立てたり形式を尊重したりして、思いとは裏腹なことを言うという共通性があると思いました。その後、では本当の思いとは何なのか、それはどうやって子どもや聴いている人に伝えているのかという共通性を基盤とした視点ができ、それがシンプルなリズムやフレーズを繰り返して没入感を生み出すというインドネシアの音楽の特徴や、踊りも含めたこの曲がもつ民族的なエネルギーの高さといった固有性の理解・体感につながりました。一方「Soleram」の場合は、インドネシアでポピュラーな子ども向けの歌であるということや、インドネシアの国民性と言われている奥ゆかしさが反映された歌詞であるという知識が先にありました。そしてその固有性から曲の背景を捉えた上で、子どもを想う親の気持ちという国を越えた共通性が、曲の世界観や歌っている時の自分の支えになっていたと感じます。私の中でも、曲によってアプローチが違いますし、同じ稽古をしている他のよびごえの方々も、人によって様々なアプローチをしていたのだと思います。どれが正しいということは無く、自分が一番腑に落ちる形で曲に対する理解を深められることが大切だったのだと思います。自分達とは異なる文化や音楽とどう接したら良いのか、その過程を実際に体験できたことはとても勉強になりました。
 
次に、よびごえの活動全体について書きたいと思います。
最初はよびごえの本番までの過程をできるだけ詳しく整理しておこうかとも思ったのですが、何だか違う気がしたので止めました。ここでは、よびごえの活動の自分なりの解釈について書こうと思います。
よびごえでやっていることを私なりに一言で表すと、「表現の主体者として、根拠をもって音楽をデザインすること」だと思っています。これが成り立つためには様々な要素が関係していると思いますが、団員個々の解釈や音楽表現が尊重されること、曲の世界観を理解する機会が保障されていること、この2つが特に重要な要素だと思っています。そして、この重要な要素は、解釈や音楽表現を無理に統一しないこと、曲の世界観について歌詞や背景、音楽から理解した上で、それを音楽表現に還元すること等の、よびごえで大切にしている考え方に支えられていて、そのような考え方がよびごえらしい学びを形づくっているのだと私は解釈しています。また、よびごえにおける合唱に対するアプローチが、そのまま団員同士の関係性の基盤になっていることが、よびごえという合唱集団の人間関係の特徴だと私は思っています。個人を尊重し主体的に行動するというのは集団の理念としてよくあるものだと思いますが、それが指導法と照らしても齟齬が無いというのは珍しいことなのではないかと思います。そして、このような活動をしているよびごえだからこそ、自分らしく学ぶことが誰かの学びや気付きになっているということに、卒業のタイミングで気付かされました。私にとってよびごえでの学びは、色々な要素や視点が混ざりあった多角的で開かれたものだったので、これからも自分の中で反芻しながら学びを深めていきたいと思っています。
 
さらに、私自身の大学4年間について書きたいと思います。
大学4年間を振り返ると、大切にしたものは大切になるということを改めて実感します。例えば、何かやってみたいことや興味があることに思い切って挑戦したことで、それが自分にとってすごく重要なものになったり、自分が変化するきっかけになったりしたことがありました。また、自分が大切にしたいと思っていたことが、色々な原因で大切にしきれなくなりそうだったとき、そのままそれを手放してしまったことも、ここだけは譲れないと大切にしきったことで、自分の揺らがない根幹になったと感じたこともありました。さらに、最初はあまり大切に思えなかったことでも取り組んでいくうちに、気付いたら実は大切なものになっていたということもありました。何かと接するときそこには必ず相手や対象が存在して、自分がした行動の影響を自分も相手も必ず受けるということを忘れないようにしたいと思いました。大学で学んだことを大切にしながら、何かを大切にできる勇気と柔軟性をもって過ごしていきたいと思います。
 
最後に、いつかこの日誌を読みにくるであろう自分に、せっかくのHPの位置づけを生かしてメッセージを残そうと思います。
この日誌を読みにきたということは、おおよそよびごえでの合唱体験をどうにか自分でも実践しようとして、行き詰まってしまったといったところでしょうか。もしよびごえの詳しい練習の様子が知りたいのであれば、他の日誌や当時の楽譜・録音を振り返れば良いと思いますが、そこまで不安になり過ぎる必要はないと思います。よびごえでせっかく学んだことを取りこぼしてしまったと思っているなら、たった4年で全てが理解できるほど合唱は単純ではないし、自分が本当に大切にしたいと思っている理念はちゃんと自分の中に残っていると思うので、安心してほしいです。むしろ、変わり続ける自分の教育観の中で、よびごえで学んだことを捉え直すことこそが、よびごえでの学びを生かすことにつながるのではないかと思います。教育観を確かに、柔軟にもちながら、目の前の子どもをよく見て、ともに学びを作っていってください。
 
本当に最後になりますが、よびごえで関わってくださった全ての皆さん、本当にありがとうございました。よびごえにいられて本当に良かったです!
  堀切彩愛…

za-dan


what's mu-ship


私たちは歌を届ける演奏家です。言葉と音楽が創りだす世界を愛してやまない3人です。

music と ship をかけ合わせた造語 mu-ship(ミューシップ)には2つの意味を込めました。

1つは、演奏を通して、私たちが作品の世界へと導く船(ship)となること。 どの作品も、きっと、感動をはらむ世界を私たちに示してくれます。 私たちは mu-ship となって、作品それぞれの世界へと誘います。

もう1つは、音楽や演奏に関する知(musicianship)を共有できる場となること。 音楽は古来より様々な学問の集合体として扱われてきました。 音楽をより楽しむための知、そして、それを演奏に還元するための知、それらを共有できる場を目指します。

mu-shipを通して、より深い音楽の世界、より深い感動が拓かれますと幸いです。

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