home > records

records


2024.6.7

合唱団を作りました!

すっかり記事の更新がご無沙汰な木川。
4月からは音楽教室の方にかまけまくっております。

MUSISM -ミュージズム-

個人レッスンをしつつ、5月からは新しく合唱団を立ち上げました。
その名も「MUSISM」(同じ)です!

Instagramなどなどで告知を行い、今日時点で10人の方にご入団いただきました。
無事に混声合唱も出来る配分になり、大変嬉しいです。

合唱団のコンセプトは「ソルフェージュと発声を磨くこと」です。
ピアノは極力使わず、階名を用いて各々の相対音感を頼りに音を取る感覚を磨いていきます。
合わせて通常の合唱練習ではなかなか難しい発声の改善にも取り組んでいきます。

全体での練習は月に2回。それと別で個人レッスンを月に1回設けて、そこで発声の改善を行なっていきます。
もちろん、個人レッスンでソルフェージュを行うことも出来ます。

横浜で実施しております。 もう5人ほどは(会場的に)入る余裕があるかな、と思っております。
継続した学びの場にするべく、ある程度の期間で募集は打ち切る予定ですが、もしご興味のある方がいらっしゃれば、ぜひホームページをご覧ください!

合唱団「MUSISM」無事にスタートしました!…
2024.4.28
no title

満員御礼!

昨日の「英語による芸術歌曲の世界vol.1」は、満員のお客様にご来場いただき、無事に終演いたしました。 内容的にかなり挑戦的なプログラムでしたが、こうした曲を聴いていただく機会を作ることには意味がある活動だったはず…!
日本の声楽業界ですと、やはり一番演奏されるのはイタリア、ドイツの作品、それにフランスの作品が続くように思いますが、イギリスやアメリカの作品はなかなか演奏自体される機会がありません。ですので、こうした作品を紹介する機会というのは貴重な場です。

特にイギリスの作品の醸し出す、なんとも言えぬ淡い響きは日本人の感性にも非常にマッチしているように感じられ、一般的な声楽家のレパートリーとして加えられていてもおかしくないように思います。
プログラムのメインとして歌わせていただいた、「Till Earth Outwears(地球が朽ちるまで)」というチクルスは、これからもずっと歌い続けたいものです。
今回は抜粋でしたので、次回は全曲歌いたいですね!

ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。
vol.2の開催にご期待ください!…
2024.3.27
no title

なんとも言えぬ儚さを

来月の演奏会のお知らせです。

英語による芸術歌曲の世界 vol.1



日時:2024年4月27日(土)
開場 13:30 開演 14:00
場所:コンサートサロンアルカス
(JR総武線 西船橋駅徒歩5分)

出演
企画・ピアノ 小田 直弥
バリトン 木川 翔
バリトン 正木 剛徳

チケット:4,000円(全席自由)
問い合わせ:ypmdj309@gmail.com(小田)


いつもお世話になりまくっているピアニストの小田さんの企画で、英米歌曲の演奏会をすることになりました。
一緒に歌うのはバリトンの正木剛徳さん。実は私と小田さんの学芸の後輩(私が院に入った時に彼は学部の1年生!)です。
昨年の魔笛ではタミーノとパパゲーノのコンビとして共演しましたが、私がそれを最後にバリトンへコンバートしましたので、バリトン二人と相成りました。とても素敵な歌を歌う歌手です。

英米歌曲はなかなか日本では演奏されることがありませんが、非常に聴きやすい作品が多いと思います。
ちょっと色褪せた、退廃的な空気とでも言いましょうか…。
もちろんそういう作品ばかりではないですが、イタリアやドイツ、フランスの音楽とは違う美しさを持っています。

私は個人的に英米歌曲が好きで、機会を見つけては歌っていたのですが、演奏会ひとつまるごと英米歌曲は初の試みです。
小田さんが掘り出してきた珠玉の名曲を、解説付きで演奏いたします。


年齢を重ねたからなのか、日々の勉強の積み重ねなのか、、音楽から見えてくる景色、歌詞から見えてくる景色が時間と共に深まっていくのを感じる今日この頃。
私は作曲家の作り出した世界をできる限り表現すべく奮闘中ですが、歌えるというのはなんと幸せなことなのか、と思います。

お申し込みは上記のメールアドレスをクリックするとメールが送れるようになっています。
ぜひ、新しい世界に触れに来ていただけると嬉しいです。…
2024.3.8
no title

Ⅲ. レディ・キラア作詩 滝口雅子 作曲 西田直嗣

2024.3.8
no title

音楽教室はじめました

昨年、実験的にオンラインレッスンを実施していましたが、おかげさまでノウハウも少し溜まり、この度音楽教室として正式に立ち上げることにしました。

MUSISM ーミュージズムー


音楽を表す「MUSIC」と、主義、を表す「-ISM」を組み合わせた造語です。

音楽教室と言えば、「=ピアノ教室」のイメージが誰でも強いかと思いますが、ピアノを演奏することと音楽を学ぶことは必ずイコールで結ばれるわけではありません。
ちゃんと「音楽」にフォーカスをあてて、「音楽」を学ぶための場所。
そんなイメージを持って音楽教室を立ち上げました。もちろん、ピアノも使いますけどね。

音楽教室のスタートに伴い、これまで実施していた実験的なオンラインレッスンは終了いたしました。
(記事も現在は非公開に変更しています)

以降のレッスンに関するお問い合わせは、MUSISMよりお受けできればと思っております。
体験レッスンも実施していますので、ご興味のある方はぜひお問い合わせください。
もちろん、ソルフェージュに限らず、声楽や楽典なども対応いたします。

楽しく歌いたい子どもから、吹奏楽や合唱に青春を捧げる人、プロを目指して歌いたい人、趣味のレベルを向上したい人、いつまでも元気に歌いたい人。
すべての人の「根っこ」にある音楽の力を伸ばすことを目標として、レッスンやイベントなど様々に企画していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。…
2023.12.31
no title

2023年

あっという間の年末です。
12月25日(月)には、美浜で「mu-shipクリスマスコンサート 〜もういちど 歌声を〜」が無事に開催されました。 演奏会が終わったところで、反省会を兼ねてza-danを更新しようと話していたのですが、年末にはなかなか予定が合わず…。
あまり遅くならないうちに反省会したいですね、はい。

今回の演奏会は千葉市の後援をいただき、市のいろいろな施設にチラシを置かせていただいたのですが、チラシを見てご来場くださった方がかなりいらっしゃいました。
クリスマス当日にクリスマスコンサート!
演者としてもすごく贅沢で幸せな演奏会でしたが、何よりもとてもお客様の反応がとんでもなく温かく、演奏者冥利に尽きる本番でした。

4年ぶりの再始動となりましたが、今後も継続してmu-shipとしての演奏会を練っていきたいと思います。
ご来場くださった方々、本当にありがとうございました。

今年は久しぶりにオペラに出演(しかもプリモ)し、しかも声種変更もし、その他も様々に激動の一年と相成りました。
来年もよりパワーアップ出来るように、一歩ずつ頑張って、手を動かして、頭を動かしていきたいです。
本当に、来年は正念場!!

今年もありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。…
2023.11.11
no title

4年ぶりにmu-shipが美浜へ帰ってくる!

伊藤さん、小田さん、そして木川の3人で立ち上げたmu-ship。
コロナ禍によって演奏会が中止となり、声楽の演奏会を企画することもどこか後ろめたさを感じる間に、それぞれの大きな生活の変化も重なること早4年……。
なかなか新しい演奏会の企画を立ち上げることも出来ずにいましたが、いよいよ復活します!

復活の舞台はホームグラウンドである美浜文化ホールです!


mu-ship クリスマスコンサート 〜もういちど 歌声を〜

ようやくまたあの美浜の舞台で歌えることを本当に嬉しく思います。
日程的にもドンピシャのクリスマス。クリスマスらしく明るい楽しい演奏会にいたします。
平日の昼間ではありますが、どうぞ足をお運びいただければ嬉しく思います。

ちなみに木川、師匠の勧めがあり今回の演奏会から再びバリトンへと戻ることに。
4月くらいから企ててはいたので、8月のタミーノを歌った際には既にバリトンのレパートリーも並行して開拓していました。
タミーノがそこまで高いロールじゃなくてよかったです。

実は東京藝大の学部にはバス専攻(バリトン)として入学の後、学部4年次にテノールへ声種変更しています。
元鞘に戻った感じで、正直違和感は全くなく、笑
バリトンにしてはやっぱりちょっと明るいかな、とも思いますが、自分なりの音色をこれからも追求していきたいと思います。

——-

演奏会とは別件で、また近々大きめのお知らせをさせていただく予定です。…
2023.9.2
no title

不思議な冒険の終わりに

一週間前になりますが、モーツァルト作曲『魔笛』の舞台が終わりました。 私が演じたタミーノという役は、この物語の主役です。
この物語は、彼がいきなり大蛇に襲われているところから始まります。
情けないことに気を失ってしまいますが、気がついた時には大蛇は倒されていて、不思議な鳥人間や、夜の女王に仕える3人の侍女に出会います。
そして侍女たちから渡された絵姿の女性、パミーナに一目惚れをし、彼女を助けに行ってくれと、母である夜の女王に懇願されます。
3人の童子に導かれ、憎むべき敵であるザラストロの住まいへ行くと、そこに現れた僧侶からは「いやいや、ザラストロは聖人やで、悪いのはあっちや」と言われる始末。
そして、ザラストロに導かれるがまま、試練を受けることに。
タミーノというキャラクターは、あまりにも純粋なキャラクターです。
夜の女王に「ザラストロが悪いやつ」と言われればそれを信じ、「女に騙されるな」と言われれば、お世話になった侍女たちも当たり前に遠ざける。
オペラの筋書きにツッコミを入れてはいけないものですが、笑
それでも自分の中でタミーノの発言や動きに正当性を持たせるために、楽譜や台本を読んで、彼のことを考える時間はとても楽しいものでした。
今回、7年ぶり(!)にオペラの舞台に立ちました。
しかもオーケストラ伴奏で主役を歌うのは初めての経験です。
いくら練習室で歌う経験を積んでも、やはり舞台に立つ経験は何物にも変えられないものがあることを改めて感じます。
何より、オペラの上演というのは本当に大変!!
たくさんの人の力で成り立っているものだと、改めて感じる毎日でした。
このような場で歌わせていただけることを心から感謝して、また舞台に立てるように精進しなければと気が引き締まりました。
共演した皆様、裏方として動いてくださった皆様、そして来場してくださった皆様、本当にありがとうございました。
たくさんの方に喜んでいただけてとてもしあわせです。

魔笛の終わりと共に、私の夏休みも終わりを告げました。
おかげさまで今年の夏はとんでもなく忙しく終わって、エネルギー切れです。笑
しばし舞台から離れて裏方に徹します。次の舞台は年末です!…
2023.8.18
no title

2023夏

もう8月も後半。時間が過ぎるのが早すぎて卒倒しそうな毎日です。
演奏会前には告知しようと思っていたのにすっかり書くのを忘れてしまいましたが、8月5日(土)に、「MUSICAとりっぷる〜ドイツ・オーストリア編〜」を開催しました。

昨年、立ち上げた「MUSICAとりっぷる」は第1回にイタリア編と銘打ち、イタリア語の作品を集めた演奏会を行いました。
今回は第2弾ということで、ドイツ語の作品を集めた演奏会になりました。

私はシューベルトとヴェルナーの「のばら」に、コルンゴルトの美しい歌曲を2曲、そして後半にはレハール作曲の喜歌劇『微笑みの国』からスー・チョンのアリアと、モーツァルト作曲の歌劇『魔笛』からパミーナとパパゲーノの二重唱、あとはヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇『こうもり』からシャンパンの歌と、終幕のロザリンデ・アルフレード・アイゼンシュタインの三重唱を演奏しました。

イタリア編はあまり重唱をプログラムに入れることが出来なかったのですが、今回はそこそこ重唱もプログラミング出来て満足です。
何よりお客様が暖かく、とても良い雰囲気の演奏会となりました。足を運んでくださった方、ありがとうございました。
MUSICAとりっぷる、第3弾も開催予定です。今度は何編になるでしょうか。

さて、演奏会では『魔笛』のパパゲーノを歌いましたが、今のところ私はテノールという声種なので、本来はパパゲーノ役は歌わないのです。本来は……。
本来歌うはずのテノールの役、、ということで、今月末には『魔笛』にタミーノ役で出演予定です。
こちらはオペラ丸々一本です。オーケストラ伴奏です。テンション上がります。

2023年8月26日(土)
開場 14:30 開演 15:00
場所:東久留米市生涯学習センター まろにえホール
(東久留米市中央町2-6-33)
入場料:5,000円(全席自由)

2日間公演ですが、私は1日目でタミーノ役を歌わせていただきます。
本来はドイツ語の作品ですが、今回はセリフも歌唱もすべて日本語での上演となりますので、ミュージカルのような感覚でお楽しみいただけると思います。
チケットのお申し込みはお問い合わせより承りますので、よければぜひお越しください。

残る稽古もあとわずか。最後までクオリティを上げられるように頑張ります。
そして、魔笛の終わりと共に私の夏も終わります……。完全なる自業自得ですが全然休んだ気がしません……笑…
2022.9.21
no title

伝わる・揺さぶる!文章を書く

タイトルからしてもちろん「文章の書き方」に関する本ですが、文章を書くとはすなわち言葉を紡ぐことであり、それは人と言葉を交わすコミュニケーションにおいても重要なスキルであると考えます。
自分が書いているこの文章は、読む人にどのような考えをもたらすことが出来ればその機能を果たしていると言えるのか。私が書いているこの文章は、この本に興味を持ってもらうことがゴールでしょうか。
本は5章で構成されています。
第1章では「機能する文章を目指す」ためにはどのような要件を抑えれば良いのか、第2章ではそれらの要件についてどのように考えれば良いのか、第3章では実践編として日常生活のさまざまな場面で表れる文章を、第4章ではより高度なテクニックを、そして最後の第5章ではコミュニケーションについて書かれています。
何か文章を書くときに、道筋に迷ってしまう人。どう文章を広げていけば良いのか困ってしまう人にオススメ出来る本だと思います。

文章を書くのは自分の内面と向き合うようで、私はとても好きです。が、昔の方が勢いよく色々書けたな、とも感じます。
文章を書くことについて、また改めて考えてみたくなりました。…
2022.8.20
no title

筆不精

すっかりな筆不精です。
演奏会のお知らせをしたきり、すっかりそのままだったのでちょっと振り返り。

・Spring Concert

赤いピアノが印象的な、東久留米市役所。 おそらく人前で歌うようになったのは小学4年生か5年生くらいからだったと思いますが、そこから考えてもこんなに舞台に立たない期間が長いのは初めて。
職業演奏家ではありませんが、「歌う」という行為は私にとって切り離せないものだな、と思い至る舞台でした。
日本歌曲とフランス歌曲、そしてオペラということで、私にとっても美味しいとこどりでした。

私は日本人ですし、やはり日本語という言語はとても美しい言語だと感じます。
機微が豊かで、母音がきちんと存在感を放つ言語。それでいて子音にも細やかなニュアンスを含ませられます。
いろいろな言語を学ぶ、その全てが日本語で歌うことに返ってくるような印象があるのは、すごく面白いです。
単に私が日本人だからというだけかもしれませんが。笑

そしてフランスの作品、今回はフォーレの歌曲でしたが、これもお気に入りです。
日本人、フランス音楽好きだと思うんですよね。ピアノ学習者にもドビュッシーとかラヴェルとか人気があると思いますし。
和声が醸し出すなんとも言えぬ香りともいいましょうか、同じロマン派と括ってもやはりドイツやイタリアの音楽とは異なる色合いがありますね。

共演した皆様も、本当に素晴らしい演奏でしたので、お客さまにもきっとお楽しみいただけたことと思います。


・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜
こちらは同期と一緒に企画した演奏会。
この歳になっても一緒に何かが出来る、というのはありがたいこと。
そして、みんな本当に素晴らしい音楽家。一緒に音楽を奏でられることを幸せに思います。 私は前半にレスピーギ作曲の『森の神々』という歌曲集から抜粋して3曲を演奏しました。
声楽の勉強を始めると最初に手にするイタリア歌曲集をはじめとした古典〜ロマン派あたりの作品群は、
手を替え品を替え、よくもまあこれだけ恋愛ばっかり歌うな、と思う人は多いかと思いますが、笑
この『森の神々』という作品は少し毛色が違い、宗教的・哲学的内容を多分に含んでいます。安直に、『難解』と言える作品かもしれません。

古い価値観が新しい価値観によって覆い尽くされること。
これはいつの時代も、どんな分野においても起こりうることです。

キリスト教圏に住んでいるわけでもなければ西洋人でもない私にとっては、この作品をきちんと理解した!と言える日は来ないかもしれませんが、私なりに考えることの多い作品でした。
いずれ抜粋せずに全曲演奏出来れば良いな、と思い、その日まで温めておこうと思います。

後半の最初には歌劇『愛の妙薬』から、「人知れぬ涙」を。
テノールなら誰もが通り、そして誰もが挫折する曲です!と紹介させてもらいましたが、笑
今回演奏するにあたり、「ネモリーノというキャラクターは一体どこまでデフォルメされうるのだろうか、、」なんてことを考えていました。

現実に考えたら、よく言えば純真悪く言えばバカなんですよねネモリーノ。
物の価値もよくわかっておらず、ただのワインを惚れ薬だと信じて、凄まじい高値で2回も買い、それで「彼女が自分に恋をしているんだ!もう死んでもいい!」と盛り上がってしまうわけです。
このシーンが真面目であればあるほど、これまでとのギャップが面白い人物像になるわけで。そしてだからこそのオペラブッファ。
ただそれをアリア1曲演奏するだけでどう捉えれば良いのだろうか。おお、アリア1曲歌うってキャラクター作るのすごい難しいじゃん…。
という感じで、もやもやといろいろ考えていました。

この曲自体久々に歌いましたが、新しい気づきというか、気回しをたくさんする機会となりました。
同じ歌を歌っても、歌うたびに新しい学びがありますね。面白いです。

アンコールには「黒猫のタンゴ」を。…
2022.4.18
no title

演奏会のお知らせ

もう4月。本当に時間が経つのが早いです。
コロナ禍で演奏活動を自粛しておりましたが、このままだと本当に歌う機会がなくなってしまいそうなので、ちょっと踏ん張ることに決めました。
より感染予防を心がける毎日です。。


・Spring Concert

2022年4月24日(日)
17時開演
東久留米市役所1階 市民プラザ 屋内ひろば
(画像を押すと拡大します)

恩師、穂積磨矢子先生にお声がけいただきました。
元々1時間くらいのプログラムで、ということでお話をいただいた気がしたのですが、結局1時間どころじゃ済まなそうなボリュームです。
私は山田耕筰の「鐘が鳴ります」と、別宮貞雄の「さくら横ちょう」、それから、G.フォーレの「夢のあとに」と「ゆりかご」を歌います。
あと、プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』から第一幕のアリアと重唱を、ソプラノの太田絢子さんと演奏いたします。

先日5年ぶりに(!)お会いして、合わせをしました。
最後に会った時はまだ太田さんは受験生だったのですが、今や立派な大学院生ということで、月日の経つのはまっこと恐ろしいものであります。

コロナ禍ということもあり、ソロが中心の演奏会です。
入場無料で、お申し込みの必要もありません。
途中での入退場も可能な広場での演奏となります。
どうぞお気軽に足をお運びください。

・MUSICAとりっぷる 〜イタリア編〜

2022年7月10日(日)
加賀町ホール
(大江戸線牛込柳町駅より徒歩5分)
全席自由3,000円
(最大80席予定。感染状況により減席の可能性あり)

(画像を押すと拡大します)

ひょんなことから大学の同期で演奏会をすることにしました。
今回一緒に舞台に立つテノールの紀野とは仕事やら研究テーマやら共通するものが多く、ちょくちょく連絡をとっているのですが、随分と前のコロナが下火だった時期に食事に行き、「演奏しようぜ!」ということで企画を決め、その場にいた小林くんを巻き込み立ち上げました。その時は「さすがにもう来年の夏ならコロナも大丈夫でしょ」みたいな話だった気がしますが…。もう全く予想がつきません。

Trip(旅行)する様に、世界中のいろいろな音楽を演奏したいね、ということでMUSICAとりっぷる。
そして、せっかくならそれぞれの国ごとにプロフェッショナルを招こうじゃないか、ということで、イタリアで修行を積んだメゾソプラノの藤田さんにも出演を打診した結果、このような布陣と相成り、〜イタリア編〜とサブタイトルがついたのであります。
予定なら1年に1回、ドイツ編やらフランス編やら、向こう6年くらい継続する予定です。本当に出来るかな。笑

同期だから、という贔屓目をおいても、皆本当に素晴らしい演奏家です。
ぜひ足をお運びください。 お申し込みはこちらから。…
2022.1.23

2022年になって

この前に書いたつぶやきが、2020年の終わり。
一昨年の年末に悩まされていたことが、今でも悩みのタネであるとは、何とも悲しいものです。

このままの勢いで感染者数が増えていくと、来週にはコロナ前のインフルエンザ並の感染者数になるんだとか。
そんなに感染していたのか、インフルエンザ、とそちらもびっくりです。

体調崩すと、練習も出来ないわ声の調子も狂うわで後がすごく大変です。
なので、私、冬場は元々いつもマスクをして、手洗いうがいをしっかりしています。
ここ10年ちょっとはインフルエンザにはかかっていません。対策半分、運半分というところでしょうか。
この2年は気合を入れた防疫活動のお陰で、副反応以外で熱すら出ませんでした。

それでもインフルエンザにかかるよりは、コロナの方が怖い。
というのは、体調面(特に呼吸器にダメージは勘弁願いたい)もそうですが、社会的な影響も考えてしまうからでしょうね。あるいは、特効薬がないのも大きいでしょうか。

今年は演奏の機会をバシバシと作るつもりですが、こう感染者が増えていくとやはり不安です。
気兼ねなく人に会って、気兼ねなく歌える日が早く来てほしいなあ、と切に願います。

あけましておめでとうございました。もう2月になっちゃいますね。

2021.1.18
no title

野口体操入門 からだからのメッセージ

故・野口三千三氏(1914-1998)の身体哲学が元になって生み出された野口体操。別名・こんにゃく体操。東京藝術大学で長年教鞭を取っていた野口先生にこの体操を学んだ著名な音楽家は数知れず、現・東京藝術大学学長の澤和樹先生(ヴァイオリニスト)も、広報誌の中で「この授業がもっとも思い出深い授業だ」と述べています。残念ながら私が在学していた時には既にこの体操の授業はなく、実際に受けたことがある先生方から話を伺うたびに羨ましいと思うばかりでした。
 著者である羽鳥操氏はその直弟子。この本ではどのようにして野口体操が生まれるに至ったのか、野口体操の考え方、具体的な動き方が書かれています。
 野口体操の考え方は、「力を抜けば抜くほど力が出る。なぜなら筋肉は休んでいる時にしか新しく働き始めることは出来ないから」というものです。体操を通じて「重さ」と「はずみ」と「筋力」の関係性を感じられるようにすることで、よりパフォーマンスが向上すると考えられます。
 こうした実技系の本は、本だけではどうしてもわからない部分が多くありますが、2020年になり、YouTubeに「野口体操ch」というチャンネルが作られました。著者の羽鳥先生が実際に説明しながら体操を実演してくださるので、本と合わせて参照すれば、脱力についてかなりの学びが得られます。

野口体操入門

野口体操ch 第1回配信「野口体操を紹介します!』…
2020.12.31
no title

2020→2021

2020年が終わります。
あまりにもイレギュラー過ぎて、この1年が長かったのか短かったのかよくわかりません……。
実際に走っている間はとても長かったですが、年末恒例の「一年を振り返るテレビ番組」を観ると一瞬で過ぎ去ってしまったような感覚になりました。純粋に歳とっただけかもしれません。

感染症というものに対して、特に歌唱というものがこんなにも敏感にならなければならないものだと、これまで夢にも思ったことはありませんでした。
今年は年の初めに予定していた演奏会がすべてキャンセルに。
mu-shipとしても演奏の機会を窺い続けてはいましたが、感染者数の増減に怯えつつ、延期したり中止したり、そうこうしているうちに気がつけばもう大晦日。
思えば歌い始めてから、1年間人前で演奏する機会がなかったことはこれまでありませんでした。

今年1年を振り返ると、オンラインで出来ることがたくさん増えたように思います。
授業もしましたし、レッスンもしました。自分が勉強会に参加したりレッスンを受けたり、会議をしたり飲み会をしたり。
さらに、動画を編集したり文章を書く機会も増えました。
人と直接会う機会は間違いなく減りましたが、それがコミュニケーションの減少か、と言われれば決してそういうわけではありません。どのような手段であってもそれは手段でしかなく、そこには人と人とのつながりがある、ということを強く感じます。
とはいえ、やはり代替手段感は否めません。オンラインで会うのか直接会うのか、選択肢がある上で最適なものを選べるように、早い収束を願うばかりです。

今年の年明けに書いたつぶやきの中に、「アウトプット」という言葉がありました。
こんなことを書いたことはすっかり忘れていましたが、「インプット」と「アウトプット」は1年間常に意識の中にあったように感じます。と思うと、ちょっと進歩ですかね。
「演奏」というアウトプットだけは全く出来なかったのでそれだけは心残りですが、その分自分の声に向き合う時間がたくさん取れたので、次の舞台を楽しみにしておきたいと思います。

まずは健康が一番、何よりも大切です。元気があればなんでも出来る!って言ったのは誰でしたっけ。
今年はマスクと手洗いうがいのお陰で大きく体調を崩すこともなく、無事に1年間元気に走り続けられました。
来年もこのまま引き続き、免疫力を下げないようにしっかり食べてしっかり寝ます。
皆様もどうぞ息災にお過ごしください。…
2020.12.7
no title

息を吸って横隔膜を張る?

最近はインターネット上にたくさんの発声に関する情報が並ぶようになりました。
感覚でなんとなく歌うだけでなく、きちんと理にかなった方法で声を出せるようにするためには、こうした知識を元に身体の使い方を学ぶことは大変有意義なことだと思います。(そしてこの文章にアクセスしてきた皆さんもきっと勉強しようと思ってたどり着いたのでしょうね。素晴らしい!)
ただ、インターネットに書かれている情報が全て正しいかというと、それはまた別の話。整えられたレイアウト、見やすい解説図。あたかもこれが正しい!と書かれているけど、意外とこれ合ってる?というものは多いように見受けられます。 今日はよく見られる「息を吸って横隔膜を張る」というワードについて。
正しそうに感じられて、実はちょっと違っているかもしれないこの考え方。
これについてちょっと呟きたいと思います。 ちょっと考えたいのが「息を吸って」「横隔膜を張る」というこの順番。
なんかこの表現だと、まず最初に空気が身体の中に入ってきて、それによって横隔膜が押されているようなイメージを持ちませんか?
よく「お腹が内側から押し出されるように」とかも言いますね。
まるで息が吸われることによって横隔膜が動いているかのような表現ですが、これは誤り。
空気が先に動くわけではなく、身体が先に動く。それに合わせて空気が動くというのが正しい順番です。 空気が身体に入ってくるのは、「横隔膜が収縮して下がり、合わせて肋間筋の働きによって胸郭が広がり、それによって肺が広げられるから」です。
これら筋肉の働きによって肺の中の気圧が下がります。この気圧の変化が重要なポイント。
気圧差が生じると、空気は高いところから低いところへ向かって動きます。

自分の周りの空気圧 > 肺の中の気圧

この状態になることで、空気が肺の中に流れ込んでいきます。これがつまり吸気になるわけです。

息を吐く時はこれの反対。横隔膜が上がり、胸郭が萎んでいくことで肺が縮められ、自分の周りの空気の気圧よりも肺の中の気圧が高い状態を作ります。

自分の周りの空気圧 < 肺の中の気圧

筋肉を使ってこの状態を作り出すことで、空気が肺から外へ向かって流れていきます。その息の通り道の途中に声帯があって、声はそこで生まれるわけですね。

「息を支える」「横隔膜を張る」というのは、このような息をコントロールする時に生じる感覚を指す言葉です。
言い換えると「しっかりと息を吐く」もしくは「息を吐きすぎないように」ということになるでしょうか。要は今と違う息のコントロールを求めて、こういう表現をしているわけですが、これらのちょっと曖昧なワードはどちらの意味合いでも使われているような気がします。
ちなみに「横隔膜」は筋肉なので、働く時は「収縮」します。働く時は下方向へ縮む動きになるので、「張る」というのは結構な思い込みワードです。
たくさん息を吸うと身体の中がパンパンになる感じがするので、そこから「張る」という言葉は来ているのだと思いますが、この誤った使い方のイメージが余計な力みを生んでいる可能性もあります。
(※あるいは、肋間筋の動きによって胸郭が動くことで横隔膜も動くから、それを指してるのかな……だとしたら「張る」でもいいのかな、と推敲していて感じます。言葉で発声を説明するのはとても難しい)

息を吐く時には常に横隔膜を下げたままキープしなければならない、というのはよく言われます。
実際私も少し前まではその方法でブレスをコントロールしようとしていました。
ただ、我々の到達目標は「横隔膜をキープすること」ではなく「常に安定しコントロールされた息を吐くこと」です。
先ほども言った通り、呼吸は外気圧と肺の中の気圧の差によって生み出されるものですから、「肺の中の息の残量」に応じて、適切に肺に圧力を与えることで私たちは一定の息を吐き続けることができます。
吐き始めこそ肺の中に大量の息があるので、横隔膜は低いままでも良いかもしれません。ですが、肺の中の空気が減ってきても同じように横隔膜を使おうとしてしまったら、横隔膜は肺に圧力を与えることが出来ず、萎んだ肺に対して更に圧力をかけ続けるのが難しくなります。
場合によっては横隔膜によって気圧のコントロールが出来ない代わりに、どこか別の場所を使って身体は息をコントロールしようとするかもしれません。それが余計な力みを生む原因にもなります。余計な力みは身体の自由を奪い、声の音色や音程のコントロールに悪い影響を与えます。

大切なのは、これだけしていればオッケーと思い込んで横隔膜を使いすぎていないか?固めすぎていないか?と自分に問いかけることでしょうか。
常に身体は状況に応じて、刻一刻と使い方を変化させなければいけないのです。
ああ、「言うは易し」とはまさにこのこと……私も日々研究中です。…
2020.12.7
no title

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である

著者はWindows95の設計思想を作った方です。この本を読むと、1日の時間は等価値で流れていないということがわかります。精神的に余裕がある時の1時間と締め切り直前の1時間では、同じ1時間でもパフォーマンスに雲泥の差が出る、というのは私自身常々感じることであり、追い込まれると力が出ない性分な私は元々仕事は早めに済ませたいタイプ。それでもここまでのスパートをかけようと思ったことはありませんでした。まずはじめにプロトタイプを作り、残りの時間を使ってクオリティを上げていくという考え方は大変共感出来ました。演奏に置き換えれば、まず最初に暗譜で通して演奏できるようにした後に細かい部分を詰めて練習していくようなもの。この本を読むまで仕事の方ではあまり意識したことがなかったのですが、この本をキッカケに色々な仕事に余裕が持てるようになりました。

なぜ、あなたの仕事は終わらないのか スピードは最強の武器である…
2020.10.25
no title

音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉

「音楽を聴く」とはどのような視点を持てば良いのか、どのように考えれば良いのかというヒントを与えてくれる本です。紹介したいと思いつつ、私が著者の主張を正しく理解出来ているかどうか……。ですので、この本を読んで私自身が考えた・感じたことを書き連ねておきます。
 クラシック音楽に馴染みのない人がクラシック音楽を難しく感じるのは、歴史や文化の背景が遠く、その音楽の「型」を理解出来ていないからです。理解するためにはまず触れてみること。そして知ること。知らないことを知り、自らの知識や経験(=内なる図書館)を充実させることで音楽の「形式」を認識することが出来る、すなわち「こういう音楽が来たらこう聴く!」というパターンが音楽の理解を助けてくれるわけです。
 音楽はそれ自体はただの音(=知覚される素材)でしかなく、それを「音楽」として知覚する「人間」と「形式」があってこそ、初めて音は音楽として認識されるものとなります。そして「聴くこと」は「語ること」にも「演奏すること」にも大きな影響を与えます。
 この本から、これまで聴いたことのない曲を聴いたり、同じ曲を違う演奏者で聴き比べる楽しさを得たようです。自分自身の演奏に対する批評も磨かれ(たような気がする)、同時に「内なる図書館」を育てよう、という思いが強くなりました。

音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉…
2020.10.1
no title

Re:Set

規定値に戻す。セットし直す。再起動する。
元の場所に置く。骨を整骨する。宝石をはめ直す。活字を組み直す。

と、「Reset」を手元の英和辞書を引いてみる。

さて、では「Set」で調べてみると、

置く。はめ込まれている。位置している。配属する。〜の状態にする。・・・多い。
(心などを)集中させる。というのは、今の気分にぴったり。


時間を作って、近場の温泉旅館へ行きました。
「1泊2食付き」、随分と大盤振る舞いしたものです。
Booking.comで良さそうなところを探して、ピンと来たプランを予約したのですが、貸切露天風呂もついているプランということにチェックイン時に気が付きまして。

大浴場で温泉は十分と思っていましたが、いざ貸切露天風呂なるものに入ってみると、これは大変良いものです。
頭の中に「Reset」という単語が思い浮かびまして、冒頭に戻るわけです。

仰向けに天を仰いで風呂に浸かっていると、まるで脳がOSを再インストールしているような気分。
過去からも未来からも切り離されて、今この瞬間に全身の感覚が集中しているような。
今この瞬間を手放すのが惜しくて、今に集中し続けている状態。他のことを考えよう、と思っても、「今」という重力に強く引き込まれる趣き。一種の迷走、、じゃなくて、瞑想状態に近いものなんでしょうか。
一昔前はあまり旅行することに重い腰が上がらなかったのですが、みんなこの時間を求めて旅をするのだなあ、ということがわかる御年頃になってきました。

旅は良いものですね。今はあまり状況が芳しくないですが、時世が許されるようになれば遠出もしたいものです。
普通に演奏出来るようになる頃には、きっと遠出も出来るはず。

先日ふと考えてみたら、2020年は一度も人前で演奏しないことになるかもしれないことに気づいて、変な汗が出ました。高校生で歌を始めてから、1年で1度も舞台に立たないのは初めてです。
生の演奏の場が早く戻ることを願うばかりです。…
2020.8.10
no title

メモの魔力 -The MAGIC OF MEMOS-

なんとなくタイトルに惹かれて手に取りました。筆者の語るメモ術とは、「すべてを言語化する」ところから始まります。具体的な出来事はまず具体的に書き留める。そして、内容を抽象的な事象に置き換え、それを別の具体的なものに転用していきます。
 「なぜこの映画は面白いと感じるのか?」「なぜ私はこの曲がこんなに好きなのか?」「なぜこの演奏者を好きだと思うのか?」単純に「良いものは良い」で済ませずに、そこで思考すること。その「事象」のコアとなる部分を抽出し、それを別のものに当てはめることで新しいアイデアを生み出そうとする試みです。特に芸術というものは、「良いものは良い」とか、「好きなものは好き」のような直感的な閃きも大切ですが、そこから要素を抜き出して具体化させる作業は、その人の「幅を広げる」ことに繋がるのではないでしょうか。今の自分からは出てこないアイデアを求める人、新しいアプローチを探りたい人に役に立つ本です。

メモの魔力 -The MAGIC OF MEMOS-…
2020.6.26
no title

本物の思考力を磨くための音楽学〜「本質を見抜く力」は「感動」から作られる

この本と対話をしていると、さながら大学の講義を受けているような心持ちになります。私自身の言葉でこの本の書評を書くのはおこがましくもあり、かといって紹介しないわけにもいかず、特に音楽について思考する・したい人にとっては様々な思考プロセスのきっかけを与えてくれる本であろうと思われます。一言だけ表現するならば、「どうやって音楽に触るのか」を考えさせてくれる本、でしょうか。以降は「はじめに」に書かれている文を引用させていただくこととします。
 “人間という生き物は、「意味」が感じられないと生きていけないという、特異的な性質を持つ動物です。しかし近年、この「意味」特に「生きる意味」が「わからない」「見つからない」といった漠然とした空虚感を抱える人が、とても増えてきています。(中略)「生きる意味」が見つかりにくい現代だからこそ、私たちは音楽の力を必要としています。そして力を備えた音楽には、必ずや愛が込められています。そのような本物の音楽に触れた時、人はそこに美を感じ取り、真理を発見し、「生きる意味」を実感することができるはずです。
(中略)本書では、音楽という不思議なものの正体に少しでも迫り、「生きている」音楽というものについて、さまざまな切り口から考えてみようと思っています。”

本物の思考力を磨くための音楽学〜「本質を見抜く力」は「感動」から作られる  …
2020.5.31
no title

やる気が貴重なのか、時間が貴重なのか

日常が非日常になってから早数ヶ月。
ルーティーンから強制的に押し出された毎日は、時間がいつもよりあるようなないような、新たな体験でした。

決まり切った日々のサイクルにおいて、その中で自由に使える時間は限られています。
一方で、裁量の範囲が狭いということは、管理がしやすいという事でもある。ということに気付きます。

学生の頃もフリーの頃も、スケジュールは基本的に自分で全て組み立てるものでした。
毎日同じ時間に仕事が始まるわけじゃないし、毎日同じ場所へ行くわけじゃない。1日として同じ日はないわけで、「勉強しない!」「働かない!」と決めたら、まあある程度そうすることが出来るわけです。
一方、基本的に仕事に使う時間が先にスケジュールに入っていて、残った時間を色々と工夫するようになったこの数年は、時間に対する向き合い方が変わると同時に、これまで以上に時間の貴重さを感じる日々でした。
が、いざ求めてやまなかった時間がたくさん手に入ると、今度はうまくそれを使えない事実に直面します。
いつものような狭い時間であれば、「今しか出来ない!」という追い立てられるような勢いで色々とこなすことが出来るのに、今はたくさん時間を使った割にはイマイチ進捗状況が良くない。
ああそうか。時間をうまく使うためには、それよりもまず先にやる気を操縦出来ないといけないんだ、と。
(仕事に使う時間の見積もりが立てづらいのもあるかもしれないけれど)

やる気自体をコントロールするために、まずは気が散らない環境作りが重要。ということをそういえば前に読んだなあと思い出し、再読。後に大掃除。
合わせて、内面からのコントロールのために何か出来ること……と調べ、瞑想を始めることにしました。

やる気。
集中力に言い換えられるのだろうか?

数年前に、「集中力を向上させるためには?」という問いを立てたときに、マインドフルネスについて調べ、何冊か本を読んだ時期がありました。「やる気」と「集中力」が同じものかどうかさておいて、集中力が増すことは実感としてあったので、これを機に少し自分のものにしてみようと考えました。

今回は瞑想用のアプリをダウンロード。
何事も新しいことは続くタイプなので(そしてしばらく続くのにふと忘れたらやらなくなる)、しばらく続ける予定です。

多い日は日中に1セッション、寝る前に1セッション。
最初こそ、横になって目を閉じるとあっという間に爆睡していましたが、1週間を過ぎる頃にはきちんと全部出来るようになり、むしろ夜は目が冴えて眠れなくなる謎の期間を経て、今はようやくバランスが取れるようになりました。

日中に仕事をばーっと進めて、エネルギーが枯渇したなと思ったら瞑想する。
そうすると、またちょっとエネルギーが回復するような気がします。週の後半はどうしても疲れを多く感じるので、そのままちょっと15分くらい寝ることもあります。

いつも上手に自分をコントロール出来るようになりたいものです。…
2020.5.9
no title

相対音感のための階名唱:跳躍を含むオクターブの練習

次は3度で跳躍してみましょう。
3度というのは、「ド→ミ」や「レ→ファ」のように、間をひとつ飛ばした音程のことを指します。
こちらも譜例はハ長調のものですが、音源はそれ以外の調性でも演奏されています。 跳躍音程が難しくて取れないと思ったら、間の省いている音を入れてみましょう。 下降音形でも練習してみましょう。 これも難しければ、間に補助的に音を入れましょう。 このように、跳躍する音程も間に音を入れながら取れるように練習していきます。…
2020.5.4
no title

人生を思い通りに操る 片づけの心理法則

ここでいう「片づけ」とは、物理的なものだけに留まる話ではありません。
“限りある時間やお金、体力や注意力といった自分のリソースを、人生において達成したい目標に集中できているかどうか”
“片づけは、大切なことに使える時間やお金、体力や注意力を最大化します。これを言い換えれば、自分の人生を思い通りに操れるということです”
 前書きにボールドで書かれたこの言葉を実践するべく、7つの章に分けて「原則」「片づけのメリット」「勝手にものが減る考え方」「習慣」などがわかりやすく提示されており、最後の第7章では「人生を変える8週間プログラム」が用意されています。
 物を片付けるという行為は、物理的なメリットだけに留まらない大きな可能性を秘めている、ということをこの本は教えてくれます。全てを実施するのは難しくとも、何かしら具体的なヒントが得られることでしょう。これを読むと「何がどこにあるかわかるから散らかったままでいい!」とは言えなくなった自分がいます。

人生を思い通りに操る 片づけの心理法則…
2020.4.3
no title

相対音感のための階名唱:オクターブの完成

和音の練習を拡大するために、残りの「ラ」と「シ」を一気に練習してしまいましょう。
これで階名が全て揃いますので、臨時記号(音階に含まれないフラットやシャープ)を含まない曲はすべて演奏出来るようになります。 まずは基本の順次進行を完璧にするために、いくつかの調性の上行形を練習しましょう。 最初4カウントで主和音(ドミソ)、その後4カウント空いて1拍ずつ上行する音階が流されます。
最初の主和音だけ聴いて一時停止し歌ってみて、その後音源に合わせて歌ってみてください。
楽譜にするとこんな感じです。これはハ長調の場合の楽譜ですが、音源はハ長調以外に色々な調性で演奏されます。
(画像を押すと拡大されます)
下降の順次進行も練習します。おそらくこちらの方が難しく感じるかと思いますので、丁寧に、音程が下がりすぎないように気をつけてみてください。
練習のやり方は上行形と同様です。このような順次進行が基本になるので、ゆっくり丁寧に練習してみてください。 続きます。…
2020.3.23
no title

石川くん

ここで言う「石川くん」というのは、かの有名な詩人である石川啄木のことを指します。この本は、そんな石川啄木をテーマに、2001年の5月から7月にかけて「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載されていたエッセイをまとめて、加筆されたものです。読めないとは言えないまでも、啄木の詩は現代の日本語から少し隔たりがありますが、そんな彼の短歌が歌人である著者の訳とエッセイによって、親しみ深く描き出されています。代表的な短歌の対訳と、それにまつわるエピソード、本の最後にはエッセイのような年表もついています。
 越谷達之助の「初恋」など、多くの作曲家が石川啄木の短歌に曲をつけていますので、啄木の短歌を題材とした曲を演奏する際に何かしら気づきが得られるかもしれない本です。歌がより生きた言葉として感じられる一助になるでしょう。

石川くん…
2020.3.15
no title

相対音感のための階名唱:和音練習

さて、ここまでで「ドレミファソ」の5つの音階について感覚を磨いてきました。
「ソ」までの音階が使えると、ここで和音を作ることが出来るようになります。 このような響きのする和音を長三和音と呼びます。
何が長いのか?、というのは音楽理論の勉強の範疇になってしまうので、ここでは割愛します。

明るい印象の響きがする和音です。
「ド」の音を聴いたら、「ミ」と「ソ」を加えて、この和音の響きを頭に思い浮かべられるように練習しましょう。
もちろん、声は同時に1つの音程しか発音出来ないので、声に出して歌う時には「ドーミーソー」と歌えばOKです。

以下の音源は、最初に「ド」の音だけ鳴らします。
少し間を置いてから、「ドミソ」を順番に鳴らし、最後にまとめて和音として鳴らします。 1オクターブ内に音は12個ありますので、ここに挙げた12個が長三和音の全てです。
(もちろん、オクターブの違う音はありますが)どれを聴いてもすぐに歌えるようであれば、長三和音は完璧でしょう。
この和音の感覚は調性の感覚につながっていきます。これまでの課題と合わせて練習してみてください。…
2020.2.25
no title

相対音感のための階名唱:例題10(d・r・m・f・s)

引き続き、「ドレミファソ」の5音の練習です。
出だしの音が取りづらい問題も含まれていますので、一回で出来なくても気にせず、出来るまで何回もトライしましょう。
次回は和音を使った練習を行います。…
2020.2.24
no title

3月・4月公演中止のお知らせ

3月3日に出演を予定していた演奏会「Premium Concert 夕闇に冴えかかる旋律の春風」が、昨今のコロナウイルスの影響のため、公演中止となりました。
また、同様に4月2日に開催予定だったmu-ship主催公演「遥かなる夢の調べも、延期させていただくこととしました。(こちらの詳細は追ってmu-shipのホームページでご案内いたします)

未知の脅威には十分な警戒が必要だと私は思いますし、我々の責任において出来る最善を考え、このような結論となりました。
楽しみにしていてくださったお客様には本当に申し訳ありませんが、また安心して観賞いただける時期を設定し、公演を行わせていただきたいと思います。

この件に関して何かお問い合わせがありましたら、こちらよりご連絡をお願いいたします。
くれぐれも皆様、ご自愛ください!…
2020.2.10
no title

うまく歌える「からだ」のつかいかた ソマティクスから導いた新声楽教本

「ソマ」とは、「自分自身が感じる、今の生きているからだ」を表すギリシャ語であり、「ソマティクス」は生きているからだを自分でどう感じるかを学ぶ、「気づき」の学問を意味するそうです。歌うために身体はどう働いているのかを理解すると同時に、「歌う時の自分のからだ」を感じ取るための訓練方法や手段についてまとめられた本です。  本は全5章で構成されています。熱心にレッスンを受けているのに伸びないのは何が原因なのか?という問いから始まり、必要な解剖学の知識、アレクサンダー・テクニークなどの身体を知覚するメソッドの紹介、声の障害と経過についての事例、具体的なエクササイズ方法と歌うためのヒントが掲載されています。理解する前にエクササイズをするだけでも声に変化が表れるでしょうし、併せて少しずつ知識も身につけられる本です。 うまく歌える「からだ」のつかいかた ソマティクスから導いた新声楽教本…
2020.1.21
no title

相対音感のための階名唱:例題9(d・r・m・f・s)

扱う階名が増えれば増えるだけ、演奏できる曲は増えていきます。
ただ、階名が増えればそれだけ音程の種類も増えていきます。
丁寧に確実に音程が取れるように、単純な練習ですがやってみてください。 なお、これらの練習はいわゆる「音程のはしご」を作る作業です。
音の幅に対する感覚を磨くための練習ですので、1回歌えるようになったら終わり!ではなく、当たり前に出来る問題を繰り返し完璧に歌うことが大切です。…
2020.1.20
no title

文章を論理で読み解くための クリティカル・リーディング

クリティカルの和訳は一般的に「批判的」とされますが、英語におけるcriticalには、日本語で言うところの「批判」という言葉が持ち合わせる攻撃的なニュアンスは含まれていないのだそうです。
 さて、クリティカル・リーディングとは、相手の言わんとすることを理解する力であり、同時に自らの意見を引き出す読み方を指します。まさしく「本と会話をする」ようなイメージであり、この本の中では「書くように読む」という表現をされています。
 今後、AI技術が発達していく社会においても、「文章理解」は機械にはこなすことが出来ないと言われている能力です。クリティカル・リーディングによって理解する力・思考する力を養うことは、これから何を学ぶ場合でも必ず役に立つ能力でしょう。
 この本は全体を6つの講義の形に分け、クリティカル・リーディングのために必要な知識を体系的に学んでいきます。この知識を自らの読書に応用出来るようになると、文章の理解力・思考力がぐんと増すことでしょう。

文章を論理で読み解くための クリティカル・リーディング…
2020.1.6
no title

2019 → 2020

新年あけましておめでとうございます。
年々時間が経つのが早くなっていく今日この頃。皆様如何お過ごしでしょうか。

2019年は記念すべきmu-ship旗揚げの年となりました。
4月の演奏会を皮切りに、構想初期に掲げた目標である年間3回の演奏会の企画を無事に達成出来たことを、まずは嬉しく思います。
今年も昨年より更にクオリティを上げて、そしてまた何か新しい試みに触れられたら、と色々妄想中。
折角やるからには自分も楽しめて、周りの人にも楽しんでもらえるようなことをしないとですからね!

年始に友人と「アウトプット」について話をしていました。
アウトプットは「インプット」の反対語。
学習においてはインプットは知識を自分の中に蓄えること、アウトプットはそれを説明したり実践で使用することを指します。
学びの上でのアウトプットの重要性は昔からよく言われています。
自分が学んだことを人に教えることで自分の定着度も上がる、ってやつですね。

ただ、アウトプットを最優先に考えるのはちょっと問題で、良いアウトプットのためには、まず死ぬほどインプットする必要がある、というのは友人の談。
確かに言われてみればその通りで、結局きちんとアウトプット出来ているのはしっかりインプットしたことばかり。
インプットについても意識的に取り組む必要性を改めて感じる年明けです。

学習におけるアウトプットとはまた別の話として、仕事における「アウトプット」についても考えたいお年頃。
仕事におけるアウトプットは「成果を出す」「結果を出す」といった類のものです。
自分が出来ることは目に見える形で(耳に聞こえる形で?)アウトプットしないと、誰にも何も伝わらない。ということを改めて考えて、2020年も挑戦していきたいと思います。
まずはそうですね、色々なものの更新の頻度から……。…
2019.12.16
no title

相対音感のための階名唱:例題8(d・r・m・f・s)

では、改めて練習用の曲で階名唱の練習をしてみましょう。 まずは「d」を決めたら「drmfs」の音程を順次進行で確認してください。
音程がわからなくなったら常に順次進行に戻りましょう。
訓練が浅いうちは最初に始めた高さがわからなくなってしまうこともありますが、練習するうちに慣れてくるはずです。 楽譜は画像をクリックすると拡大されます。
音源を聴きながら楽譜を見たい場合は、音源を再生してから楽譜を拡大すれば、楽譜を見ながら音源を聴くことが出来ます。…
2019.12.5
no title

イタリア語の勉強のための参考書・辞書をまとめてみる

いやあ、語学。
語学の勉強って、大変ですよね。わかります。わかりますとも。 イタリア語、どんな本を使ってどんな勉強をすればいいのかわからない!
という後輩の嘆きを立て続けに聞き、彼らにアドバイスをするためにもちょっと一回自分がどんな勉強をしてきたのかまとめてみようかと立ち上がった昔の記事を発掘してきたので、多少手を加えてもう一度公開することにしました。

まあ、私もそんなにイタリア語出来るわけじゃないんですけどね。
勉強していない人よりは出来る。イタリア語検定3級はたぶん大丈夫。それくらいです。
でも、これらの教材をしっかりやり尽くしたら準2級くらい取れないかしら。無理かしら。

————————- ■目次 問題集 文例集 リスニング用 辞書・単語帳 その他 ————————– ・問題集 しっかり身につくイタリア語トレーニングブック
入江たまよ 著
問題量も豊富で、この1冊を繰り返し解けば基本的な文法はマスター出来ます。
私が学生の頃は紙のものしかありませんでしたが、今では電子版も出ているので持ち運びも簡単に。
最近Kindle版を買い直しました。

ちなみに著者の入江たまよ先生はNHKの「まいにちイタリア語」でも講師を勤めていた方です。
とてもためになる楽しい講座だったなー、という記憶があります。

一点、上の本は解説の面が少し薄いので、

しっかり学ぶイタリア語 文法と練習問題
一ノ瀬俊和 著
独学に使うには最適で、かなり詳しく文法の解説が載っています。レベル的にはたぶん3級まで通用するくらいで、「トレーニングブック」と同等のレベルまで対応しています。
上の本と比べたら解説が多めで、その分練習問題が少ない、と考えれば大丈夫。
先生がいるのならこちらの本はなくてもいいかもしれませんが、一人で勉強する時間が多いなら、やっぱりあったほうがいいかもしれません。
さらに詳しい文法書も出版されてますが、最初のとっかかりとしてはちょうど良いレベルかと思います。

・文例集 私がイタリア語の勉強をしていて、次に必要だと感じたのは、短文の作成能力でした。
これはイタリア語検定を受けようと考え始めたこともあったからなんですけど、とにかくまずはたくさん短い文章に触れて、出来れば覚えて使いこなせるような文例集が欲しい、と思ったのを覚えてます。

NHKイタリア語 書ける! 話せる! 実用文例800…
2019.12.3
no title

音楽家ならだれでも知っておきたい「呼吸」のこと 豊かに響き合う歌声のために

ボディ・マッピングという言葉があります。ボディ・マッピングとは「自らの身体の機能を知ること」と言い換えられるでしょうか。「歌うときは腹式呼吸で息を深く吸います」という説明は指導者なら誰もが行う説明ですが、それでは「身体がどのように反応していれば腹式呼吸と言える状態なのか」「そもそも深く息を吸うとは身体がどういう状態であるのか」という説明までセットで行われることはなかなかありません。この点において、この本が抽象的な理解を具体的な理解へと進める一つの助けになる可能性があります。
 解説はそれほど多いわけではありませんが非常にわかりやすいイラストが多く、初めて見る人はいくつもの発見があることでしょう。鼻孔とはどこにある空間のことなのか、舌はどのくらいの長さがあって、喉のどこまで繋がっているのか、顎関節はどこにあるのか、唇はどこにあるのか……。見えない身体の内側で起こっている「呼吸」という動きについてイメージを描くことで、本来の自分の力を妨げる身体の癖について気づくきっかけとなるやもしれません。自らのボディ・マッピングを正確に描くことで、もっと身体は楽に、そしてフレキシブルに動き始めるはず。呼吸に特化した薄い本なので、繰り返し読むのに適しています。毎回の練習前に読み返したい本です。

音楽家ならだれでも知っておきたい「呼吸」のこと 豊かに響き合う歌声のために…
2019.11.17
no title

日本の合唱作品に登場する特殊な記号たち

合唱は従来、いくつかのパートがそれぞれの音程やリズム、言葉を担い、それらが歌い手の身体を通して同時に再生されることで空間にハーモニーが生まれ、時には言葉の掛け合いが生まれるような音楽形態、と大変簡素ながらもまとめることができるかもしれません。それが、時代の流れの中で、創作者独自の哲学によってもたらされた様々な特殊唱法/奏法を取り込み、新たな体験へと拡張していることは、作曲家たちの生み出したその豊かな”記号たち”が示していると思われます。
そこで、以下では、日本の合唱作品における特殊唱法/奏法の一端を紹介することとします。これらの記号からは、合唱の含有するどの要素に対して作曲家が拡張の可能性を感じていたのか(例えば、拍子、声の使い方など)が読み取れるとともに、なぜそれらを開発し、採用しなければならなかったのか、という問いを与えてくれます。
「知らない記号=怖い=演奏しない」という思考にならず、どうか、日本が築いてきた合唱という体験の多様さと向き合うヒントにしていただけると幸いです。
 
<拍子に関するもの>
1.『ひみつ』「ひみつ」(谷川俊太郎/鈴木輝昭)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、数字で示しています。その基準となる音符は、ここでは四分音符です。

2.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化を、小節の左上に、分数の形で示しています。

3.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
小節ごとの拍子の変化が各小節の左上に分数の形で示されていますが、そこで用いられているのは「付点8分音符分の1」「付点8分音符分の1プラス8分音符」「8分音符×2」など、多様です。

 
<時間に関するもの>
4.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
拍子の代わりに、この作品では3秒ごとに基準となる印が示されており、それを基準に音楽を進めていくことが記されています。指揮者がストップウォッチを持ち込んで演奏することがあります。

5.『狐のうた』「醜聞」(会田綱雄/三善晃)
全休符の代わりに、ひし形に斜め線の入った記号が使われています。単純な休符ではなく、描かれている情景や音楽の流れにあった「間」をとることが意図されていると考えられます。

 
<音の伸ばしに関するもの>
6.『のら犬ドジ』「ないてる……」(蓬莱泰三/三善晃)
倍全音符に似た記号が書かれてありますが、これは次の指示があるまで伸ばし続けることが意図されている、と考えられます。

7.『梟月図』「何が泣いただろうか」(宗左近/鈴木輝昭)
ここでは「B.O.」「B.F.」という、2種類のハミングが示されています。「B.O.」から「B.F.」、またその逆という組み合わせは音量の増減を意図して使用される場合があります。例えば、「B.F.」(口を閉じたハミング)から「B.O.」(口を開いたハミング)へと連続して歌唱すると、同じハミングでも、閉じていた口を開けることになるため音量も自然に大きくなります。この楽譜では、「B.F.」から「B.O.」になることで音量が自然に増すことが強弱記号でも示されています。(piu P から Pへと指示が変化している。)
ハミングについては、この他、様々な表記がなされることがあり、「B.F.」と同義なのは「Hum.」「m」、「B.O.」と同義なのは「ん」「n」等があります。

8.『Voice』「Since I was born…」(木島始/信長貴富)
黒塗りの全音符にフェルマータが付記されており、そこからナレーションのセリフへ矢印が示されています。これは、ナレーションが発音し終えるまで音を伸ばし続ける、という意味であり、その後は、ナレーションが終わるとそれに反応して次のフレーズへとつながる、という指示になっています。

 
<声の使い方、表現に関するもの>
9.『合唱のためのコンポジション14番』「KANJO」(間宮芳生)
黒く塗りつぶされた部分は、可能な限りその範囲の音を埋め、クラスターを作るよう意図されいています。写真の左側のクラスターの場合は、例えば、「レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯、ソ、ソ♯、ラ、ラ♯、シ、ド」をすべて発声することになります。右側のクラスターでは、最初は1音から、次第に音が重なり、ソの音までクラスターが広がるよう指示されています。
このようなクラスターの書法は『原爆小景』「日ノ暮レチカク」(原民喜/林光)でも見られます。

10.『合唱のためのコンポジション14番』「SHINGON」(間宮芳生)
ここでは、声楽的な歌唱よりも話すような声の使い方で、例えばテノール1であれば、およそシの音の高さで「n」を発音し、4拍かけて低いラの音辺りまでグリッサンドで下降し、その後「no」「mo」「no」「mo」を繰り返す中で次第にささやき声のように音量を落としていくよう、指示がなされています。

11.『のら犬ドジ』「ドジじゃないぞ」(蓬莱泰三/三善晃)…
2019.11.13
no title

相対音感のための階名唱:例題7(d・r・m・f・s)

前回は短い曲でしたが、今回は少し長めです。 ↑クリックで拡大されます↑ 前回と同じく、まずは最初に「d」の音を決めましょう。
高さを決めたらそこから「ドレミファソ」と順次進行で音の高さを確認しましょう。 今回の曲は最初からいきなり跳躍音程で始まりますので、今回は跳躍音程の練習もしてみましょう。 1. まずは順次進行で「ドレミファソ」を声に出して歌います。
2. 次に、「ド・ミ・ソ」を声に出して歌います。「・」のところは、レとファを心の中で歌い続けて、声には出さないようにします。
3. 何回か音を飛ばして歌うことに慣れたら、「ドミソ」を続けて歌います。この時、レとファは心の中でも飛ばします。
4. 上行音型でうまく歌えたら、今度は「ソファミレド」と上から声に出して歌います。
5. あとの手順は同じです。それが出来たら「ソ・ミ・ド」と、ファとレを心の中で歌いながら、声には出さないようにします。
6. 慣れたら、続けて「ソミド」で歌います。この時、ファとレは心の中でも飛ばします。 同じような方法で「ドレファ」や「ドファソ」など、「ドミソ」以外の組み合わせも練習してみましょう。 次回は過去の例題のような練習課題に取り組んでみたいと思います。…
2019.10.21
no title

この音とまれ!

県立高校の箏曲部を舞台とした漫画です。作者自身が箏の経験者であり、お母さまもお姉さまもプロの奏者ということで、演奏はもとより音楽に対する姿勢であるとか、演奏者ならではの苦労であるとか、登場人物の演奏に対する苦悩には大いに共感出来るものがあります。自分が普段悶々と演奏に向き合っている分、それを乗り越えた時のカタルシスと言ったら!
 例えば「のだめカンタービレ」や「ピアノの森」など、「不遇な天才」を主役に据える作品と比べると、あくまでもこの物語のメインは「(絶対的天才キャラもメンバーにはいるものの)才能的には普通の範疇の高校生たち」が「部活動」で活躍する、というところであり、何かに打ち込んだことがある人であれば誰もが共感できる可能性を持っているように感じます。そういう意味では「音楽マンガ」というよりも、サッカーとか野球などの「部活動マンガ」のほうが性格としては近いのかもしれません。箏なのにジャンプ、そして箏なのに立派な少年マンガ。演奏シーンの表現力が素晴らしいです。

この音とまれ!…
2019.10.6
no title

パレストリーナへの視点

現在もなお愛されているイタリア・ルネサンス後期の音楽家、パレストリーナ(正式な名を)は「教会音楽の父」と呼ばれることもあり、西洋音楽の歴史をたどっていく中で、1つのポイントとなる人物です。
ここでは、以下、パレストリーナに関して記されたいくつかの文献から、彼をめぐるいくつかの視点と、彼の代表作の1つである「Sicut cervus desiderat ad fontes」の演奏に関する記述も例示します。
 
 「パレストリーナは、ローマ近郊の町に生まれ、一生涯にわたってほとんどローマに住み、そこで活動した。彼の関心は、事実上、専ら宗教音楽にのみ集中していた。彼は、100曲以上ものミサ曲と数百曲ものモテットを書いたが、世俗曲はほんの数曲しか作曲しなかったのである。彼は、生前にも高い評価を得ていたが、死後には、いわば、彼の時代の完璧な大作曲家として大天才の位置に列せられ、更に大きな評価を受けるようになった。彼の諸作品は、完璧な手本とされ、今日に至るまでの声楽的対位法の教育の基本となった。他に比肩するもののないほどのこうした称賛を彼が得たのは、或る程度まで、歴史的偶然の結果だったとも言える。つまり、彼は、同時代の他のとても優れた作曲家達に比べて、それほど図抜けていたわけではなかった。だが、そうとはいえ、彼の音楽は、疑いなく、典礼式用の音楽に必要とされる諸条件を見事に満たしているし、そして、トレント公会議の精神に―常に文字通りにではないにせよ―順っているのである。」 (p202-204, デイヴィッド・G・ヒューズ『ヨーロッパ音楽の歴史』)  
 「[…]このようなパレストリーナの経歴に加えて、彼の作品のほとんどが宗教音楽であることから、彼は典型的なローマ・カトリック教会の作曲家であると言えるだろう。しかしパレストリーナは、人間的にも音楽的にも、一般に思われているほど世俗的要素を寄せ付けないような作曲家であったのではない。たとえば、世俗曲の旋律をミサ曲の素材として用いて、「ミサ戦士」という作品を書いたり、あるいは「四度のミサ」とか「無名のミサ」という不明瞭な曲名をつけることによって、世俗的素材を使用していることを隠すかのようなこともやっている。」 (p167, 須貝静直「ジョヴァンニ・ピエール・ルイジ・ダ・パレストリーナ」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「彼[パレストリーナ]とともに音楽は新しい段階に足を踏み入れた。精神が音楽的素材を完全に支配し、個々の音をしっかりと捉えた。音楽は言語を映す鏡となり、言葉を語る存在としての人間を実現する能力を得た。装飾(あるいは構成)と人間表現との綜合が達成された。それによって、パレストリーナとともに音楽史上の新しい時期、すなわち人間の表現としての音楽という時期が始まったのである。」 (p96, T・G・ゲオルギアーデス『音楽と言語』)  
 
〇ルネサンス ― パレストリーナの生きた時代
・ルネサンスという時代
 「音楽史におけるルネサンスは、ギョーム・デュファイ(1400頃―74)、ジル・バンショワ(1400頃―60)、アントワーヌ・ビュノワ(1400頃―92)等、フランドル出身の音楽家たちがブルゴーニュ公国を中心に活躍し、アルス・ノヴァ以来のフランスの伝統的作曲技法を中核として、それにイギリスの充実した和声感とイタリアの流麗な旋律法とを同化することによって新しい国際的なポリフォニー様式をつくりだした十五世紀中頃にはじまり、フィレンツェのカメラータがモノディを創作することによって音楽史上のバロックを切り開いた十六世紀末にいたるまでの約一世紀半ということになる。」 (p73, 永田仁「パレストリーナとルネッサンスの教会音楽」『ルネッサンス・バロック音楽の世界―バッハへ至る道』)  
 「ルネサンスは、詩と音楽の『正しい』関係が真剣に論じられた時代であった。もちろん、ギリシャの芸術を手本として。しかし残念なことに、古代の音楽そのものは残されていなかった。手本にする作品そのものがないのだから、せめて理論的に古代の考え方を学ぶのが先決だった。ルネサンス人の感心なところは、いや無謀な(といった方がいいかもしれない)ところは、ギリシャ音楽と彼ら自身の音楽に、どんなに大きな違いがあるかをさして気にもとめずに、理論的研究にとどまることなく実践にものりだした点であろう。[…]この時期には言葉と音楽の関係も、今日的な見方をすれば、衒学的な迷路にまよいこんでしまったかに見える。本書が扱ってきたのは、まさにこの時期の音楽を中心としているのだ。歌詞には往々にして隠された意味があり、音楽づけは基本的に視覚的である。こうして出来あがった曲は、えらばれた者のエリート意識をくすぐる謎解きの材料となる。
 1500年代も末に近づくと、プロとアマチュアの音楽家たちに、詩人や言語学者をまきこんで、新たな観点からの『正しい言葉と音楽の関係』『正しい音楽のあり方』を追求する動きがやはりフィレンツェではじまった。作曲者でもなく、演奏者でもない、第三者としての『聴き手』の立場が意識されていた点が、新しい運動のポイントの一つであった。」 (p221-222, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 「私たちは音楽を耳で聴くものと思いこんでいるが、耳に訴える曲づくりが作曲の正統派になったのは、実は1600年をすぎてからのことなのだ。たしかに、耳で聴いて感動を受ける作品はすばらしい。けれど、言葉を理解しなくても万人に感銘を与える作品のほうが、普遍的な価値を持ち、それゆえに優れているといいきれるだろうか。そんなことをいえば、聴き手の言葉の理解力に左右される声楽より、万人に同等に訴えかける器楽の方が優れている、という論議にもなりかねない。」 (p228, 岸本宏子『ルネサンスの歌物語』)  
 
・パレストリーナに至るまでのイタリアの音楽
 「十五世紀のイタリア人が好んで作曲したシンプルな歌曲のたぐいは、いずれもホモフォニックな三声または四声の有節歌曲である。[…]芸術的に高度な形式の詩が歌詞に選ばれるようになって、音楽面でもフロットラからマドリガーレへの決定的な第一歩がはじまった。はじめに設定した二つあるいは三つの旋律線に、詩をなんとかあてはめ押し込んでしまうという、フロットラのやり方は次第に消えていく。それに代わって一行一行の内容にあわせて音楽を新たに織り上げるようになる。すなわち、有節形式は捨てられ、通作形式が採用されるようになったのである。それとともに、歌詞の一語一語、一行一行の内容にふさわしい表現をもとめて、旋律も変化に富んだものとなっていく。もう一つの大きな変化は、ホモフォニックな様式のなかに、フランドル風の模倣的ポリフォニーが浸透していったことである。そしてまたマドリガーレの通作化から、歌詞はなにも定型詩である必要がなくなって、自由形式詩をふくむ多様な詩が用いられるようになる。」…
2019.10.6
no title

相対音感のための階名唱:例題6(d・r・m・f・s)

さて、階名も5種類に増えました。
5つの音が使えると、演奏できる曲が格段に増えます。 例えば、この曲。
↑クリックすると拡大されます↑ まずは「d」の高さを自分で適当に決めましょう。
そしてその基準の音から、「ドレミファソ」と声に出して音階を歌ってみましょう。 どうでしょう。自信を持って音程が作れましたか?
この曲で使われているのはその5つの音だけです!
あとはその順番が違っていたり、伸ばす音の長さが違うだけです。 この曲はほとんどの部分が順次進行です。
順次進行というのは、音階の隣り合った音へ進むことです。 「ド」なら下がって「シ」に進むか、「レ」に上がるかすれば、それは順次進行です。
「レ」だったら下がって「ド」か、上がって「ミ」ですね。 一方、例えば2小節目の裏拍に移る箇所や3小節目の2拍目や4拍目には、順次進行でない箇所がありますね。
これを跳躍進行といいます。
読んで名の如く、音が跳んで進むことを指します。 基本的に音の幅が跳べば跳ぶほど、音程は取りづらいものです。
最初は一つ跳ばしの音程(3度の音程)から慣れましょう。
一箇所だけ「r」から「s」に跳ぶところがありますが、もし音程が取れなければ冒頭と同じメロディですので、それを頼りにして。 なんとなく歌ってみたら、下の音源を聴いてみてください。楽譜だけ見てあまり歌えなかった方も、音を聴いてみたらすぐに何の曲かわかるはず。
曲がわかれば、次は自信を持って音程が取れると思いますので、階名をつけながら何回も歌って、音程感覚を身に付けましょう。 下の音源は最初に主和音(d・m・s)の和音を鳴らしたあと、曲が演奏されます。
4つの音源はこれまでと同じように、それぞれ違う基準音(調性)です。
基準音を変えて歌えるかどうかも、チャレンジしてみてください。…
2019.9.23
no title

歌唱時の正しい姿勢って??①

どんなジャンルの歌を習得するときには、いつも考えなくてはいけないことの一つに姿勢があります。 姿勢は呼吸をコントロールするためにもっとも重要となる観点です。 歌にとって良い姿勢をとることができれば、もっと自由に、力みから解放される発声に近づくことできると言えます。 今回はその歌の姿勢についてお話ししようと思います。 歌唱時の姿勢について、様々な先生が言及してきたと思います。
(皆さんもよく注意されたことがあるでしょう!) 「猫背にならず、姿勢を正して、胸を張り、顎を引いて・・・」 もちろんこれは間違ってはいないのですが、かなり大雑把な説明です。 さて、歌を歌う時にはどのような姿勢で歌えばよいのでしょうか。 それは身体に負担をかけない姿勢です。(大雑把!とクレームが来そう・・) 「負担をかけない」というと、とてもリラックスした状態を連想してしまうかもしれません。 負担をかけないというのは、
無駄なところに力の入っていない、調和<バランス>のとれた状態であるということです。…
2019.9.23
no title

歌唱時の正しい姿勢って??②

日常生活の中では思いがけず、身体に負担をかけてしまっていることが少なくありません。
それが続くと本来使わなければならない筋力が衰え、衰えた筋力をカバーするように骨盤が傾いたり、背骨が曲がったりしてしまうのです。
放置をすると身体の歪みになります。 歪み・・・と聞くとなんだか自分自身ではなかなか治せないんじゃないか、難しいのではないかと考えますが、 そもそも骨盤というのは不動関節と言って、その名の通り、動かない骨なのです。 ですから骨盤自体が歪むという訳ではありません。 骨盤周りの筋肉のバランスによって傾いてしまうので、弱い部分の筋力に目を向けてみると歪みというのは改善に導くことができます。 ほとんどの場合、身体の歪みは日常生活の中で起こります。なので大変個人差があります。 ですが、その中でも加齢や習慣によって起こりやすい、誰でも起こり得る症状をご紹介します。 イメージしてください。皆さんはリラックスした状態で椅子に腰かけています。 ある先生が、「さぁ、これから歌を歌います。皆さん姿勢を正しましょう」
と言ったら、皆さんの身体はどう動きますか? 骨盤を引き上げ、少しお腹が前にくるような形で、背骨を反らし、肩を後方に、胸を張って・・全体的にぐっと力が入るような姿勢になりませんか? これは外側から見れば、姿勢がよく見えます。 ですがこの姿勢は身体に負担のかかっている状態です。 胸を張りすぎると、つられてお腹がぽっこり出ます。反対に背中が反り過ぎていることがわかります。
これは反り腰と言って女性に多い症状です。 なぜ、女性に多いかというと、女性は身体が柔らかい方が多く、筋力が少ないため、楽な姿勢をとりやすくなってしまうのです。…
2019.9.23
no title

歌唱時の正しい姿勢って??➂

反り腰で歌うとどのようなことが起こるのか・・・ まず初めに呼吸が浅くなりやすいです。
背中を反って、胸が上に持ち上がるため、胸式呼吸になりやすく、息を吸った時に肩のあたりに力が入ってしまいます。 第二に背中を柔らかく使うことが難しくなります。
背骨が固まりやすく、呼吸のコントロールがしづらくなります。 第三に腰痛の原因となります。
長時間、反り腰での歌の姿勢を続けていると、腰のあたりに違和感を覚えます。 
歌い終わった後、腰の張りや痛みを感じるようでしたら少し歌の姿勢を見直してみましょう。 骨盤をぐっと手で押えるようにして動きを確認してみましょう。 少し手でアシストしながら骨盤をゆっくり前後に動かします。 親指を前方に押し出していくと骨盤は前傾します。
今度はその逆、親指を引いて、人差し指を背骨の方に押し込むと骨盤は後傾します。 骨盤の前傾が反り腰の状態、骨盤の後傾が背中の丸まった猫背の状態と考えてみてください。 この動きを何度か繰り返してみて、自分の歌を歌う時の姿勢はどの骨盤の位置が近いか観察してみましょう。 本来の骨盤の正しい位置は前傾も後傾もしていない、まっすぐ骨盤が立った状態です。 まっすぐ骨盤を立たせるとこができるとじわじわとおへその下あたりの筋肉が使われている感覚になります。 その筋肉は本来、座った姿勢のときに使わなければならない筋肉です。 これまで骨盤を傾け、背中を反って胸を張ることによって無理に姿勢を正し、その使うべく筋肉を休めていました。
初めの方で述べたように、弱った筋肉をカバーしてしまっているのです。 この弱った筋力についてはまた次回お話ししようと思います。…
2019.9.10
no title

相対音感のための階名唱:例題5(d・r・m・f)

前回に引き続き、d・r・m・f の4つの階名を使った課題です。 「d」から「f」に飛ぶのが苦手という人、「r」から「f」に飛ぶのが苦手と言う人、反対に「f」から下がってくるときに音程がわからなくなる人、様々に感じる方がいることと思います。これは、これまでの音楽経験によって、得意な音程、苦手な音程が人それぞれ異なっているからです。 手元に楽器のある人は、自分で新しい「d」を決めて、続く音程を探しながら演奏してみるのも良い練習になるかと思います。














2019.9.8
no title

新 インナーゲーム 心で勝つ!集中の科学

この本は、自らが本来持っている能力を最大限発揮するための考え方を身につけるための本です。この本はスポーツ、特にテニスを中心に書かれていますが、その手法は演奏者に取っても非常に有用な手法です。
 人は演奏中、どんなことを考えているでしょうか。「もっとここはこうしなきゃ」、「もっと身体のこのあたりをこういう風に」など、自分自身に話しかけることは珍しくありません。自分が自分に対して何かを強制しようと働きかける。すると、身体は気持ちが先に立ち、必要のない筋肉にまで余計な力みを生みます。結果、思った通りにはならず、思考はまた自分自身の失敗を責める……と、負のスパイラルに陥るのがいわゆるスランプでしょうか。
 インナーゲーム理論では、「命令する自分」と、その命令を受けて「身体を動かす自分」を別のものとして考えます。いかにして「身体を動かす自分」の邪魔にならないように「命令する自分」と「身体を動かす自分」を協力させるにはどうすればいいか、というのがこの本の目的とするところです。
「練習ではうまく出来るのに本番では出来ない」「それ1つに集中すれば出来るけど、他のことを考えると出来なくなる」「どう考えて練習すればいいかがわからない」などという悩みを抱えている人の助けになってくれるはずです。

新 インナーゲーム 心で勝つ!集中の科学…
2019.8.14
no title

相対音感のための階名唱:例題4(d・r・m・f)

前回は「d」「r」「m」「f」の4音を使用した問題を練習しました。
使える音が増えれば旋律も豊かになりますが、その分音程も複雑になっていきます。
答えを聴かないとわからない音程も増えてくると思いますので、その場合は答えを聞いてから歌ってOKです。 階名唱は、頭の中に音程の梯子を作る練習です。
一度歌ったら終わりではなく、声を出さなくても頭の中に音が鳴るまで繰り返し練習しましょう。 ■例題4-1


■例題4-2


■例題4-3


■例題4-4


■例題4-5


2019.8.11
no title

『美しい訣れの朝』-阪田寛夫を振り返る

合唱作品『美しい訣れの朝』(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)の詩をより深く考えるための参考用として、阪田寛夫の言葉や谷悦子氏による彼に関する論の一部を、出典を明記の上、次に並示します。
『美しい訣れの朝』は日本を代表する女声合唱の名曲ですが、その解釈についてより深く掘り下げようとした際、中田喜直氏や阪田寛夫氏がこの作品について言及した資料は豊富とは言えません。しかし別の視点から、例えば、阪田寛夫の人生、童謡観、<子ども>に対するイメージなどを見ていくと、少し遠回りではありますが、『美しい訣れの朝』が彼の中から生まれてきたことについて納得ができるかもしれません。
まずは以下を手掛かりに、他にも資料を探すきっかけにしてもらえると幸いです。 『童謡でてこい』(1986,河出書房新社,阪田寛夫)
「私は今から六十年前、大正の終わりに大阪の街で生まれた。町といっても、新しく市域に入れられた南のはずれである。私が子供だった昭和の初め頃から、畑や野原をつぶして家が建ちはじめ、広い道がつき、中学に進学した十年代の初めには、ほぼ空地がなくなって市街地になっていた。父は町工場の経営者で、大正の終りに土地を買って家を建てたキリスト教徒であった。新開地に生まれたキリスト教徒の子供ということが、多分私の耳に入る音楽を規制した。」(「17 きよしこのよる」の項より)
「(…)「椰子の実」の作曲者は私の叔父である。そして私がもっと小さい頃にうたった童謡はこの叔父の作品が圧倒的に多かった。(…)叔父の作ったメロディーは、完全に標準語のアクセントの高低に副って書かれていた。(…)戦後の童謡で、たとえば「ぞうさん」、「サッちゃん」などは、言葉を文字ではなく音として自律的にとらえる配慮から、だいたい標準語アクセントに副って作曲されている。しかし、戦前にはそういう近代的な言語感覚で書かれた童謡は、珍しい。叔父は山田耕筰の忠実な弟子であったから、その珍しくてむずかしい仕事を一所けんめいにやったのである。(…)叔父の童謡で変わっていたのは、その詩がほとんど素人の作品だという点だ。素人どころか、五歳とか三歳の子供の詩なんかに、叔父は一緒けんめいしゃれた曲をつけている。(…)理屈好きの大人の目で見ると支離滅裂の歌詞だが、子どもの頃の私には結構よく通じて、たのしめる歌だった。それは恐らく、叔父の曲が、詩を書いた子の空想力と同じレベルで音の世界を駆けめぐっているからこそ、こんどはそれを歌う子供の空想力をかき立てる力が生じたのだと思う。(…)ところがある日、「椰子の実」を書いて叔父は一躍名を挙げた。(…)子供の空想力をつき動かすあの空に駆け行くような童謡を、それ以降叔父は書かなくなった。(…)「椰子の実」のせいだとは思いたくない。有名になったせいでもないだろう。むしろ、気まぐれな童謡の神さまが、数年間だけ無名時代の叔父の頭の上に、見えない金の環を置いてくれたと言うべきであろう。」(「18 椰子の実」の項より)
「いま小学校の音楽教科書は四、五種類あるだろうが、一年生の教材として「めだかの学校」がたいていの本に載っている。(…)作曲者の中田喜直氏に聞いたところでは、一度曲を作ってから、ある人の勧めもあって、「そっとのぞいてみてごらん」だけを二度繰返すように改めた。それがよかった、ということである。-春の野原に来て、めだかがいそうな皮をみつけた。足音を立てても、めだかは逃げる。だからそっとのぞいてみる。見えない。もう一度乗り出して、声も立てずに目だけを走らせてみる。……あ、いたいた。という時間の経過と心の緊張とが、この曲では音楽において表現されている。喋る代りに音をつけたというだけではなく、音楽でなければ表現できない「時間」及び「緊張と解決」が、せん細な感受性と技術によって、一つの曲の中に封じこめられ送致されている。小学校の新入生でもいきなり歌える単純明快な旋律が氷山の一角だとすれば、水の下にかくれて見えない大切な重心部に当るのは、ピアノの部分である。(…)[中田喜直氏は]東京音楽学校のピアノ科から、陸軍特別操縦見習士官に応募して、パイロットになり、危うく生命永らえて家に帰ったが、アメリカ占領軍のキャバレーでピアノを弾きながら作曲を始めた。ピアノ曲も書いたが、日本には歌曲が少いから、新しい歌曲集を作ろうと志した。その時考えたことの一つは、日本の歌曲はこれまでピアノはいつも伴奏に過ぎず、ピアノが歌と対等に独立して、それぞれが対応して一つの表現をするようなものが少いという点だった。外国の本格的なリードに匹敵する日本の歌曲を作ろうとする姿勢が、そのまま子供の歌にも向けられて、先ずできたのが「めだかの学校」や「かわいいかくれんぼ」であった。」(「26 めだかの学校」の項より)
「「サッちゃんはね、サチコっていうんだ、ほんとはね。だけどちっちゃいから、自分のことサッちゃんて呼ぶんだよ。おかしいな、サッちゃん」これを標準語アクセントで読んでみる。もし「サッちゃん」のふしを知っている人がいれば、声を出して歌詞を読んだ時の抑揚やリズムが、そのまま(拡大強調されて)旋律になっているのを発見されることだろう。いや、単なる拡大強調にとどまらず、旋律が子供のお喋りの調子をうまく形どって、しかもやはり旋律としての個性の強さと美しさを備えている。自分のことを言っておかしいけれども、これは作詞者も知らないで詩の中に封じこめているリズムと抑揚を外へ引っぱりだして、魅力のある歌として定着する能力もしくは言語感覚を、作曲者が持っている証拠だろう。」(「37 サッちゃん」の項より)
「合唱、というのはふしぎなものだ。そんなに上手な合唱団の子供を一人一人別にして眺めてみると、ただ音楽が好きであるというだけで、特別に声楽のレッスンを受けているわけでもないし、まずひとりで歌えば十人なみが大部分、という普通の人の寄り合いと分るのだ。大人でも同じだ。その事情は変らない。(…)こんど気を落ち着けて歌い手の顔を1人ずつ眺めてみると、もう一度私は驚かざるを得なかった。兵隊服の男たちはもちろん、どの女の人を見ても、普通の顔立ちの、満員電車やさつまいもの配給の行列で出くわす顔ばかりだったからだ。だから、がっかりしたのではなくて、一たび燃えると、とつぜん美しく哀しい「ひびき」に昇華する人たちに、私は新しい畏敬の念をしんそこから持ってしまったのである。そして、それをなしとげさせる指揮者に対しても。(…)いまも充実した児童合唱団には、団員の特別なレッスンや素養ではなくて、普通の子供をそこまで燃やせる指揮者が必要なのだと言われている。そして充実した合唱団のうた声の輝きが、こんどは作曲家を刺激して、真正面から児童合唱に挑んで傑作を書かせるという連鎖反応を生んだ。」(「43 花のまわりで」の項より) 『阪田寛夫の世界』「第五章 多面体で描かれた子供の心と言葉」(2007年,和泉書院,谷悦子著)
「ところで、阪田寛夫は、幼児期より大勢の大人や子どもたちとの関わりの中で育っている。家族構成は、熱心なキリスト教徒だった両親と兄姉、母方の祖母、住み込みで阪田の世話や家事をしていたばあやとその娘であったが、家は教会の近くに建っていて、聖歌隊の練習が行われ、日曜学校・礼拝の度に信徒とその子どもたちとの交流があった。そのような環境のせいであろうか、阪田の作品には人間が中心に描かれている。[…] こどもの<父と母とに対する思い>を阪田がこのように描くことができたのは、彼の育った家庭環境が大きく影響していると思われる。[…]戦前まで日本の家庭は封建制・家父長制が支配的であったが、阪田家は、キリスト教の愛と音楽を二本の柱とした新しい形の家庭・家族であったのだ。それゆえ、神の前では夫婦も親子も兄弟も他者もみな平等であり、愛と音楽によって結ばれているという精神に貫かれていたといえよう。この父母と寛夫との関係は、「奈良市学園町」(『わが町』講談社)という作品の最後の部分に窺うことができる。死期の近づいた父を病院で母とともに看病している様子が描かれているのだが、父が母に向かって、「ワシャナ、モウスグ死ヌルデ」「アンタハナ 世界イチノ、ビジン」と話しかけると、母は時々笑って「甘えている。」「私は床にじかに敷いたマットレスに転がって寝たふりを」しているという場面だ。」
「[…]「おかあさんをさがすうた」(『サッちゃん』国土社)は、一貫して子どもの視点・発話によって母の不在を嘆いている。「おかあさん/いないんだ/いやだなあ」「でてきてよ おかあさん」と。[…]阪田寛夫が描いたのは、母に対する<不在への不安>と<永遠に在り続けてほしい願望>という普遍的な子どもの心であった。」 『声の力 歌・語り・子ども』「童謡の謎、わらべうたの秘密」(2002年,岩波書店)
「じつは今朝起きてカーテンをあけたら朝日がさして海も光っている。ああ今日もお天気かな、しかし昼から人前で長話をしなきゃいけないけれど、うまくいきそうもないなあ、なんて思っておりましたら、突然「ゴットンゴットン汽車さんが」という歌が出てきたんです。(…)年をとると、こんな工合に、脈絡なしにむかし歌った童謡が口をついて出てくることがあります。せっかく北海道に来ながら、白秋の「この道」でも思い出せばいいのに、色の黒い機関車の歌のような、誰も知らない、さえない歌が出てきます。(…)だいたい歌詞も曲も、当たり前でどうということもない歌が多いです。もし私が童謡作詩作曲コンクールの審査員なら、ABCランクのCランクにためらわず入れるような歌ばかりです。…ということは、幼いころの私の鑑賞能力が、かなり低かったという証拠になるのでしょうか。それとも大人からじいさんになるまでの酸っぱい時間の流れのなかで、子どものころの素朴な感覚とは違う悪しきプロ風判断基準のようなものを、サビのように身に付けてしまっていて、そのサビが、むかしはまっすぐ自分の心の奥深く飛び込んできた歌も、平凡だからダメだといばってCランクに追いやってしまったのか。私にとっては由々しき問題です。」
「(…)なつかしい童謡というものは、なんべん繰り返しても飽きることがないのですね。そういう属性を持っているらしい。ちかごろ童謡は子どものものではなくて、老謡になってしまったと嘆く人がいますが、(…)繰り返しが繰り返しを呼び、なつかしさをひとしお濃く染める童謡の性質は、いまもむかしと少しも変わりありません。」(阪田) 『木下順二対話集 人間・歴史・運命』「運命と人間について」(1989年,岩波書店)
「ぼくは戦争にはいやいや行ったし、病気ですぐ病院へ入ったりで、戦争に行っても見るべきものは見てないんですが(笑)。戦争体験も、あんまり声高に誇るような人の話は信用できませんが、しかし戦争といった生命を賭した経験をしないまでも人生に終始真面目にかかわって問い続けてる人は、割合に見るべきものを見てるのかな、と思います。(…)それに関連することなのですが、旧制高等学校で私より一年上の池田浩平という方が出征して間もなく亡くなったんですが、彼は戦争に行く直前まで考え続けたことを書きつけていて、その遺稿が本になっています。私たちの年頃の男は敗色が濃くなった最後の一、二年の間にみんな兵隊にとられる運命にあったのですが、あの頃はみんなが死生観というのをさかんにいって「海までは海女(あま)もみの借る時雨かな」という俳句を、これがおれの心境だなどと自分を安心させるために話し合ったりしたものでした。」(阪田)…
2019.7.29
no title

絶対!うまくなる 合唱 100のコツ

著者の田中信昭は東京混声合唱団の創立者の一人であり、日本の合唱音楽の発展に大いに力を尽くした方です。氏の「合唱エッセンス」が詰まったこの本は、タイトルの通り、合唱上達のための100のコツを紹介しています。ほとんどのコツは1ページ、長くとも2ページで構成されているため取っつきやすく、すぐに練習に取り入れることが出来ます。
 中身は8章構成となっており、前半は身体の使い方やウォーミングアップの方法など、発声においてのアドバイスが多く掲載されています。これは氏が指揮科ではなく声楽科出身だからこその切り口と言えるでしょう。3章以降は具体的な練習方法や練習効率を上げる方法、表現のための考え方といった具体的な合唱の取り組みから、本番で良い演奏をするためのコツがまとめられ、最後は合唱の歴史と合唱人のためのお悩み相談コーナーで締められます。目次から気になる項目に目を通すだけでも、勉強になることの多い本です。

絶対!うまくなる 合唱 100のコツ…
2019.7.23
no title

~舌を自由に動かして歌ももっと自由に~

哺乳類の多くは四足歩行です。
私たち、人間は二足歩行をすることで大きな進歩を遂げました。 我々の祖先は四足歩行ですし、赤ちゃんを見ると四つん這いに動き回ります。 進化、成長し、二足歩行を得た私たちは脳の容量が増え、言語を話すようになりました。 それまで、あー、うーなどの母音しか発声できませんでしたが、重力によって咽頭腔が広がり、舌を自由に動かせる範囲が広がったことにより、子音を使った言語を使用することができるようになりました。
口の中で舌が当たる部分を変えたり、弾いたりして発音してみると舌の動きがよくわかります。 しかしながら二足歩行は様々な部分で思わぬ影響をもたらします。 そのうちの一つは舌の筋力の低下です。 今回は舌の筋力の低下による、発声の困難についてお話しします。 舌の筋力が弱くなっていると、歌を歌っていても、なんだか高音が思うように出せない。
喉に痛みがくる、大きい声が出しづらいなど、様々な悩みが増えていきます。 また、音楽のテンポ感ではなく、滑舌や言葉のさばきの遅さに悩んでいる方は一度、舌の筋力を疑ってみましょう。…
2019.7.22
no title

正しい舌の位置とは・・・

舌は人間が活動するために重要な役割を担っています。
それは「呼吸」「食事」「言語」です。 よくお正月になると、おじいちゃん、お餅を喉に詰まらせないようにね!
というシーンがあります。
舌が思うように動かせないために、本来食道の方を通らなければいけないお餅が気管の方に入ってしまうというわけです。 舌というのは、このようにほとんどが筋肉でできていて鏡で見える所よりも根っこの部分が多く、重さは約200グラムあるそうです。 ところで正しい舌の位置、ご存知でしょうか。
口を閉じたときに、舌はどの場所にありますか? 上顎についている、上の歯についている、舌の歯についている、など様々かと思います。 正しい舌の位置は、 上の歯の少し後ろ、に舌の上側がべたっと付いた状態です。
上あごに隙間ができる、または下に下がっていると筋力が衰えています。 衰えてしまうと、自分の舌の重さを支えることができず、下に下がってしまう状態となります。 これを専門用語で低位舌【ていいぜつ】と言います。 普段姿勢が悪い、よく噛んで食事をしていない、あまり人と喋らない、スマートフォンをよく使用する、口呼吸である、 思い当たることがあれば、注意が必要です。…
2019.7.22

舌と姿勢の関係~舌の筋力を衰えさせないために~

舌と姿勢、一見関係のないことのように思えます。 しかし、姿勢の歪みがある方に多いのがこの低位舌です。 自分では気がつきにくいかと思います。 猫背になると下顎が前方にでます。前方にでると顎の裏の筋肉が伸びます。
そうすると伸ばされた筋肉に顎が引っ張られ、舌が上顎に届かなくなってしまうのです。 逆に顎を引きすぎても舌は下がってしまいます。頭蓋骨から下顎にかけての筋肉が伸ばされ、さらに顎の裏を首に押し付けてしまうので舌が前に押し出されてしまいます。 また強張りやすく、歌を歌うときに空気を上手に取り込んだとしても、
吐き出すときに舌が邪魔をして上手く発声できないということが起こり得るのです。 普段の練習で舌の筋肉を鍛える方法としては、 舌の体操です。舌で歯の周りを舐めたり、舌を出したり、引っ込めたり、
ダイナミックに動かすことがポイントです。 皆さんはどのくらいの早さで たたたたた~
または
ららららら~ と言えますか? 口を大きく開けて、
あー、いー、うー、えー、おー
そして最後にしっかりと舌を前に、アッカンベーをする時のように動かしてみましょう。
(あごに痛みのない範囲で行ってくださいね)…
2019.7.14
no title

声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その4

親不知抜歯記録もこれで最後。
これは3年前に親不知を抜歯した時の備忘録をまとめたものです。
抜歯するってどんな感じだろう、と訪れた方はぜひ最初から読んでいただければ。

前回
声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その3
2016年4月9日(抜歯6日目)
起床。まだ痛い。
朝は必ずくしゃみして溜息をつくところから始まる。
食事の前にはロキソニン。
あまり口を動かしたり、歌ったりするのはまだ辛い。

2016年4月10日(抜歯7日目)
朝起きると昨日までと比べて痛みが弱い!
顎を動かすのは痛いけど、食事をするのは格段に楽になった。
けど、朝晩の食事前にはロキソニン。痛いは痛い。
いい加減食べないと栄養不足を感じたので、昼にはパスタとフランクフルト、夜はひれかつ丼。

2016年4月11日(抜歯8日目)
朝は例によってロキソニン。
朝ごはんにはそば。時間はかかるけど食べられる。

抜いてから1週間ということで、この日に抜糸をする。
1週間経っても痛みが残るのは、まあ仕方ないらしい。
痛み止めと化膿止めをもらう。

抜糸をしたせいで、食べ物が傷口に入るようになった。
そのせいなのか、晩御飯食べていたら久々に結構痛くなってしまって、食後に痛み止め。
結局今日も朝晩薬のお世話になる。

2016年4月12日(抜歯9日目)
朝は痛み止めを飲む。
日に日に朝の痛みは弱くなっている。今はほとんど感じないくらい。でもご飯を食べるのには痛いから、まだ痛み止めは欠かせない。

もう食べるもの自体は普通のもので大丈夫。
あまり口にたくさん入れられないので、少しずつ食べることになるし、右で噛むと傷口に触るのでまだ左だけ。
食べるのに時間はまだかかる。

歌うのは無理しなきゃ平気かな。
テクニックと体力を維持するための練習なら出来る気がするけど、自分の限界に挑んで上手くなるための練習は無理だと思う。
表現力、声量、音色など、あらゆるレンジが少し狭く感じる。音域は平気かな。
少し長く歌うとアゴの骨が痛い。

2016年4月13日(抜歯10日目)
起床。もう痛み止めは必要なさそう。
噛むのはやっぱりしばらく右で。

歌うのはやっぱり痛いなー。

2016年4月14日(抜歯11日目)…
2019.7.14
no title

相対音感のための階名唱:例題3(d・r・m・f)

前回の記事では「ド」「レ」「ミ」の3つに触れましたが、ここからは「ファ」を追加してみます。
そして、ここから階名の表記方法を少し変更します。
「ドレミファソラシ」→「do re mi fa so la ti」とイタリア語表記に置き換え、さらにそれぞれの頭文字だけを残して、「d r m f s l t」とします。
「d」と書いてあれば「ド」、「r」と書いてあれば「レ」と発音してください。「t」は今後この練習の際は「ティ」と発音することになりますが、今は「シ」でも構いません。慣れてきたら「ティ」でも歌ってみてください。
音源は上から1問につき2つずつです。
最初に「ド」が鳴り、少し間が空いて答えが流れますので、最初は「ド」だけ確認したら一時停止して自分で歌ってから答えを確認するようにしてください。 ■例題3-1


■例題3-2


■例題3-3


■例題3-4


■例題3-5


2019.7.11
no title

相対音感のための階名唱:例題2(ド・レ・ミ)

「ド」「レ」「ミ」の3種類の階名を使った問題をもう少しやってみましょう。
ここに挙げた5つの問題、それぞれに2種類の「ド」と、それを「ド」とした時の解答音源を用意しておきます。
再生すると最初に基準音が鳴り、少し間を開けてから解答が流れます。最初に基準音を聞いたら一時停止し、自分で歌ってみてから続きを再生してください。
慣れてきたら、自分なりの「ド」から歌う練習もしてみましょう。
5番目の問題は開始音が「ミ」ですが、最初に基準として鳴らしているのは「ド」です。基準の「ド」から「ミ」の音を取って始めてください。
■例題2-1




■例題2-2


■例題2-3


■例題2-4


■例題2-5


2019.7.8
no title

相対音感のための階名唱:例題

では、例題として下記の問題に取り組んでみましょう。 ■例題1
わずか2音で構成された問題ですが、音程の基本はここからです。
さて、楽器を使わずに「ド」の高さを決めましょう。ここでいう「ド」は固定の「ド」ではなく、階名としての「ド」ですから自由な高さで構いません。音楽経験があり、固定ドに馴染んでいる方であれば、むしろ固定の「ド」でないことを意識し、音名の「ド」とは異なる音を設定した方が意図した練習になります。
そして、歌う際にもうひとつ気にかけてほしいことは、「ド」から動き始めた音が「レ」に展開して、再び「ド」に戻ってくる感覚を意識することです。「ド」に戻ったときに安定感を感じられること、これが『調性感』の第一歩と言えます。
上の3つの音源はそれぞれ上から「ハ」「ニ」「ホ」音です。
このそれぞれを「ド」として、例題1を歌うと以下のような音程になります。
音程を取ることに慣れていない場合は、まず上の音源を参考に使用してください。
上の3つの音以外にも、慣れてきたら様々に「ド」の高さを変えましょう。
どの高さにおいても「ド」に安定感を感じ、自身を持って音程が取れるようになったら次の練習に移ります。 ■例題2
十二平均律に則って、ここでは「ド」と「レ」の音の幅と「レ」と「ミ」の音の幅は同じと考えることにします。ですので「ドレド」と「レミレ」は全く同じ音程を違う音高で繰り返していることになりますが、実際に歌ってみると、「レミレ」と「ドレド」の感覚は大分異なります。具体的には「レミレ」は「そこでは終われない・次に進みたい感」があり、最後の「ドレド」で安定して終わりを迎えます。これも「調性感」があるからこそ感じられるものです。
音と音の幅を感じて、なおかつ「ド」に戻ってきたときに安定した感覚が持てるように、繰り返し歌ってみましょう。
2019.6.30
no title

角兵衛獅子

合唱作品『獅子の子幻想』(詩:蓬莱泰三/曲:鈴木輝昭)をより深く考えるための参考用として、角兵衛獅子に関するいくつかの資料を出典を明記の上、以下に並示します。
なお、『獅子の子幻想』(音楽之友社)の楽譜冒頭にて蓬莱氏は、「『獅子の子たち』の悲惨さを、表現としていくぶんでも和らげたい」という想いから、この作品を、「史実と虚構のはざま」で右往左往した結果としてのファンタジー(幻想)であり、整合性が欠けている点があるかもしれないことを言及しています。ついては、以下はそのファンタジーの生まれる土台となった角兵衛獅子の史実にまつわるものです。
 

『江戸職人歌合』より(石原正明著)より
 
 
「新潟市指定無形民俗文化財 越後月潟 角兵衛獅子の由来」
(新潟市南区産業振興課、角兵衛獅子保存会)
https://www.city.niigata.lg.jp/event/shi/event_minami/kakube.files/kakubeijisi.pdf
※「角兵衛獅子の舞」解説中に、「かにの横ばい」「青海波」「水車」「獅子の子落とし」「風車」の写真有
 
「越後獅子と角兵衛獅子」(©2018 新潟市南区観光協会、月潟を元気にする会)
http://www.shironekankou.jp/shishi/index.html
※角兵衛獅子の地域ごとの異称や巡業の形態、順路有
 
Facebook 角兵衛獅子保存会
https://www.facebook.com/kakube/
※現在の子どもたちの稽古風景有
 
you tube 角兵衛獅子の舞
https://youtu.be/cL0-MFD0aTM
※7分25秒~「獅子に牡丹か 牡丹に唐獅子」
 
『新潟県史 通史編7 近代二』「序章 近代と新潟県」(1988年、新潟県)
「[…]『天明以来の大洪水』といわれた明治二十九・三十年の信濃川・阿賀野川の一斉破堤が、その後の県や市町村財政に与えた影響は大きかった。この大水害に対する国の対応は冷たく、国庫補助金も県の申請額をはるかに下回った。[…]さらに、雪とのたたかいが新潟県民の生活にどれほど大きな影を落としているかは、想像を超えるものがあった。とくに、豪雪地の魚沼地方では、十一月下旬の初雪から翌四月までの五か月間は雪に閉じ込められた。人々は四~五メートルにも達する積雪を宿命とあきらめ、じっと耐え忍ぶのであった。[…]また新潟県は出稼ぎの多いことでも知られる。[…]米搗き・杜氏・木挽・屋根葺などの『関東出稼ぎ』から角兵衛獅子にいたるまで、実に多様な出稼ぎを送り出した。この多様な出稼ぎの存在は、農民を貧窮化させた『地主王国』の盾の一面ではあったが、他方で長期間、雪に閉ざされた越後の風土がつくりだしたものだったのである。」
 
『眼前小景』「三 珠乗角兵衛獅子」(敬文館、1912、笹川潔)
「人道の上から観ると、何ふも珠乗や角兵衛獅子の類は、残忍なる芸当で有る、それを親子相携へて見物したり喝采するのは、甚だ気の知れ無い沙汰と謂はねばならぬ。
 唯だ訳もなく面白がつて見て居る連中には、咎むべき廉が無いやうで有るけれども、見る子供と見らるゝ子供との間には、一種の社会主義的関係が生ぜずには居られない、少くとも他人の苦痛を娯んで見るといふ不仁の観念が伴はずには居られ無い。」…
2019.6.29
no title

声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その3

前回。
声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その2
親不知抜歯の記録です。
「歌う必要のある人が抜歯をする時の話」というニッチな話はなかなか公開されていないため、
こんな形で記録に残しておく意味があるかもしれないと思い、当時の私はこうしてキーボードを叩いていた訳ですが、
まだ抜歯していない(そして抜歯する必要のある)すべての人に恐怖を振りまいているだけのような気がしてなりません。
2016年4月6日(抜歯3日目)
8時起床。起きた瞬間に「いてーよ」と思う。3日目でもまだそんな状態である。
耐えられそうだったので、ここで痛み止めを使うのはやめておいたが、痛みが気になっても何も手につかない。
口から鉄の匂いがする。

朝は煮込みうどん。
柔らかいものは食べられるけど、そもそも「噛む」という行為が辛いのだということを改めて実感した。

今回抜いたのは右下の親知らず。当然しばらくの間食事は左側を使うことになる。

左の奥歯でモノを噛んでいると、何かの拍子に左の頬と左上の奥歯の間に食べ物が彷徨って入ってしまって、それを取るために舌を繰り出すと、
「ああ、俺今傷口に凄い悪いことしてるわ」的なアゴの軋みが襲ってくるわけで。

12時。
何も手につかないモヤモヤが止まらないので、ここで痛み止めを投入。
痛み止めって素晴らしい。なんて素晴らしい。

昼ごはんはブランフレークに温めた豆乳をかけたもの。
これが思いの外美味しいし、へにゃへにゃになったフレークは噛まなくてもいいし、抜歯した男にとってこんな良い食べ物はない。
喜びのあまり貪り食う。

15時。
練習。あまり問題は感じないが、無理をすると傷にさわりそうな感触はある。
高音に変な入り方して血圧上がると痛い、といった感じ。
さすがに抜歯3日で本番は無理だと思われる。
抜糸も済んでないし。

21時。
やはり、痛み止めが切れるとじわじわと鈍痛がするので、今日2回目の痛み止めを飲む。
晩御飯は今朝の煮込みうどんの残りと、ほっけ。
歯と頬の間に入った魚の身を除去するために舌を繰り出すが、やはりそれが非常に辛い。
痛い、というよりつらい。どんな表現が一番しっくりくるかわからないこのもどかしさ。

ずいぶん症状は軽くなったと思ったけれど、やはりまだ固形物は食べづらい。

2016年4月7日(抜歯4日目)
起床。いてー。
なんだか昨日の朝より痛い気がする。
くしゃみがアゴに響く。
痛み止めを飲む。病院でもらった痛み止めは残り1錠。

未だに、普通にしていても痛いは痛い。
昼ごはんはおかゆとみかんゼリー、じゃがいもポタージュ2杯。…
2019.6.24
no title

声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その2

前回
声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか 下の親不知は、上と比べると抜くのが大変と言われています。
実際、抜くためにレントゲンを撮って説明を受けた際にお医者様は、「神経が近いからちょっと大変」と言っていました。
麻痺や痺れなどの後遺症が残る可能性も下の方が高いとのことで、やはり抜く前はかなり躊躇したのを覚えています。

さて、躊躇はしましたが、調べた際に下の親知らずが曲がって横向きに生えていることが判明したので、これはもう抜かざるを得ない状況になりました。
それはそんな回想。 2016年4月4日。
下の親知らずを抜歯する日。

そもそも20歳の頃、近所の歯医者で診察してもらった時に「親知らずは全部まっすぐ生えてるから抜く必要ありませんね!」と言われていたはずなのに。
28歳にして親知らずを抜くはめになるとはちっとも思わず。

上の2本は昨年(2015年)に抜いたが、比較的簡単に抜けた。
麻酔が効きづらい体質なのか、2回とも途中で麻酔をかけ直してもらったものの、抜くのにかかった時間は30秒くらい。
1日寝たらもう痛み止めも必要なく、歌うことも問題ないレベルだった。

問題は下。
再び近所の歯医者の発言に戻るけれど、その歯医者は「親知らずは全部まっすぐ生えてるから抜く必要ありませんね!」と言っていたのにも関わらず、今かかっている歯医者で調べてもらったところ、下の親知らずは思いっきり真横に生えていた。

真横に生えているなら早く抜くに越したことはないわけで。
だったら20歳のうちに抜いておきたかったよと思わずにはいられない。

下の親知らずは重要な神経に近く、その神経と歯が絡みついていて抜歯が難しかったり、まかり間違うと麻痺が残ってしまったりと、上の親知らずよりもかなり危険な代物のようだ。

それでもまっすぐ生えていれば抜くだけだが、私のように真横に生えている場合、歯茎を切開して、歯を砕いて取り出さなければならない。
なんと恐ろしい。

仰々しくタイトルには声楽家とつけたけれど、別に私は毎日本番が入る歌い手ではない。
でも、歌えないと指導も出来ず、結果商売にならないわけで、せめてある程度本番が入っていない時期でないと抜歯が出来ない。

なかなか上手くスケジュールの都合がつかず、上の抜歯は去年の7月と12月。
そして、とうとう下を抜く日が4月にやってきた。
ちなみにもともと3月だったものを延期しての今回である。

予定は1日空けて、準備は万端だ。

朝ごはんは玄米と味噌汁。
昼ごはんには山盛りのスパゲティジェノベーゼ。
これが最後の昼餐…と気合を入れて食べる。だって、たぶんこの食事を最後にしばらくまともに食べられないから。
ニンニク臭くなって焦る。

歯を磨いて、歯医者へ。

歯医者へ着くと、少しの待ち時間の後、いよいよ特別室へ連れて行かれる。

この歯医者、地元では有名な凄腕歯医者らしい。
確かに上の親知らずは鮮やかに抜いてくれた。
なので、今回もきっと大丈夫。と自分に言い聞かせる。

麻酔をかけられる。正直、これが一番痛い。
今回は上の歯を抜くよりも多くの麻酔を使っているようで、舌や唇もビリビリと痺れる。

麻酔が効いてきたところで、いよいよ施術開始。
とはいえ、口の中で何が行われているのかはよくわからない。…
2019.6.17
no title

歌手ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと

「からだ」を理解することで、身体は本来の力を発揮する。私は「ボディ・マッピング」をこのように解釈しています。
息を吸おうと思うと肩に力が入ってしまう、気がつくと歌っているときに爪先立ちをしている等、「やりたい行動に関係のない余計な力み」が生まれる原因のひとつは、その行動がどのような原理で行われるのかという自覚がないことです。息を吸うために必要な筋肉と息を吐くために必要な筋肉は違うものですし、その動き・働きも異なります。ひとつひとつの筋肉は縮むか元に戻るかの機能を持っているに過ぎず、膨大な種類の筋肉が複雑に働きあって、私たちの複雑な動きを可能にしています。
「私は何をしたいのか、そのためにはどこがどう動いてくれればいいのか」
単純な問いですが、自分自身へのその問いかけが正しく身体を使うための第一歩であり、この本はそのための大いなる助けになってくれるでしょう。

歌手ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと…
2019.6.10
no title

声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか

むかーしむかしあるところに、28歳になってもまだ親不知を抜いていなかった男がおりました。

彼は虫歯とほとんど縁がなく、歯医者にも全然行かなかったので、20歳の頃にイヤイヤ行った歯医者で言われた
「親不知、抜かなくて大丈夫だね」という言葉を免罪符に、これまでずっと親不知を放置してきました。

ある日、男がふと上の歯の親不知の裏側に舌を当ててみると、なんと穴が開いているではありませんか。

「これは……虫歯?」
と思いながら1年以上放置していたところ、穴は少しずつ大きくなっていきました。
痛くはなかったもののさすがに怖くなってきた男は、近くの評判の良い歯医者へかかることにしました。

当然のように叱られ、虫歯の診断を受けて抜歯することになったのですが、男は毎週歌わなければならない予定が入っていたため、実際の抜歯は1ヶ月後に。
下手に空いてしまった1ヶ月間、インターネットで抜歯について調べては恐怖に身をよじらせる日々を過ごしました。

さて、実際に抜歯する日がやってきました。
「はい、麻酔しますよー」との掛け声で歯茎に注射を射たれるのですが、これが少し痛かった。
男はどうやら麻酔が効きにくいらしく、1回では麻酔が足りません。

麻酔が足りないと抜くときに痛みが走ります。それが怖くて、いつ抜くんだいつ抜くんだいつ抜くんだいつ抜くんだいつ抜くんだいつ抜くんだ……と思っていたら、気づかないうちに抜けていました。

麻酔が効くまで20分くらいかかりましたが、抜く作業自体は30秒くらい。
麻酔が切れると流石に痛みはありましたが、痛み止めを飲めば耐えられる程度で、一晩寝ると痛むこともなくなりました。
空いていた穴も1ヶ月もすれば元通り塞がり、歌うことにはなんの影響も出ませんでしたとさ。

めでたしめでたし。

————

本題はここから。
「声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか」

そう、問題なのは下なんですよ。
実際私が抜くときにも、後の痛みが残ったのは下の歯でした。
親不知は下の歯を抜くときのほうが大変だという情報はたくさん出てくるものの、「歌を生業にしている人が抜歯する話」がその当時ほとんど見つかりませんでした。
(今あるかどうかは調べてないけれど)
親不知の抜歯に対して恐怖を抱く人は多いだろうし、きちんと記録をつけておけば、同じような状況の人の助けになるはず!と思ったのが2016年4月。

最初は昔のブログの記事をこの続きに載せればいいかと思っていましたが、今読み直すとなんだかとても恥ずかしい。
もう少し読めるように書き直さないととても出せないので、それはまた次回。
あれ、本題に全く入らずに終わってしまった。 続き。
声楽家が下の親不知を抜くと歌に影響は出るのか その2…
2019.5.29
no title

三好達治と鷗②

「三好達治論 象徴イメージ「鳥」と精神の構」(2003, 中井一弘)
( 原文:http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/462/1/AN103087570140002.pdf )
 
・『測量船』「鴉」(1929年)
  小野十三郎「迫りくるファシズムの予感」
  村上菊一郎「心にもなく幼年学校士官学校に学び、軍国主義教育の至上命令に従って 
        いた作者自身の若い日の彷徨に対する苦い悔恨」
  阪本越郎「軍隊教育の至上命令と服従が強制され、威嚇と敗北の苦しい記憶が、悪夢の
       ごとく、この詩人の脳裏をたえず襲ったことと推察される」
  ➡ しかし、なぜ、「私」は「鴉」に変身したのか?
    そして、なぜ、「鴉」は「言葉」を撒く存在だったのか
  「ここで注意すべきことは、先述したように、「鴉」の啼き声が「言葉」に置き換えられているということである。思うにここで、「私」は「言葉を撒く存在」―つまり「詩人」に変貌したのではないだろうか。そして、そのように考えれば、「私」の「鴉」への変身譚は、「詩人の誕生劇」と読み換えることも出来るのである。」
  「三好にとって、詩人としての自己認識は、絶対的な宿命であるとともに、悲痛な「敗北」の結果でもあった。「敗北」のもとに誕生した詩人である己の姿は、醜怪なものでしかありえない。そうした詩人としての自己のカリカチュア(戯画)が「鴉」なのである。」  ・三好の「鴉」イメージのルーツ
   石原八束:『測量船』における「鴉」以降の詩風は「フランス象徴詩風の不安感、懐疑感につつまれている。」
   北川冬彦:三好の学生時代の親友
        三好はこの詩(「鴉」)を書いた当時、ヴェルレーヌが獄中で書いた詩集
        『サジェス』を読み耽り、『サジェス』を読んで三好が一晩中泣き明かす
        ほど感動していた、という回想
        この涙する三好こそが「鴉」だった、と北川の説
        ➡ ヴェルレーヌの影響
          卒業論文「ポール・ヴェルレエヌの”智彗”に就て」
1929年 「鴉」発表
      『巴里の憂鬱』(ボードレール)の翻訳を刊行
1935年 『悪の華』(ボードレール)の抄訳を刊行
       ➡「信天翁」(ボードレール)と「鴉」の類似性
➡ 「鴉」のイメージでもって「詩人」を象徴するという発想  ・三好の「鴉」というイメージの使用系譜をわたって
 『測量船』の「鴉」からの流れをふまえて考えるならば、三好が「鴉」という醜怪な形象に託してきたものは、「詩人」が現実世界に分け入り世俗におもねることによって、自らのうちに「俗なるもの」を取り込み肥大させる結果、純粋なるものを失ってしまうことへの嫌悪感なのであった。  ・三好達治の1つの象徴としての「鷗」
  『艸千里』「鷗どり」を例に出して - …
2019.5.29
no title

音名と階名3

音名と階名は全く別のものですが、日本では音名も階名も同じ「ドレミ」を使うことが多いため、混同してしまっていることも少なくありません。小中学校の音楽の授業で階名を扱うことになってはいるものの、専門的に勉強をしている人でもなければ、階名の存在はなかなか認識されないのが実情です。日本では一般的にドレミを使って歌うときは「音名唱」であることがほとんどでしょう。
 

 一般的に音楽は「音階」を用いて作られます。最もよく使われるものは「長音階」と「短音階」と呼ばれるものです。「ハ長調」とか「イ短調」とか、学校の音楽の授業で聞いた記憶がある人も多いかと思います。
 

ハ長調は、「ハ音」を基準音として作られた「長音階」、イ短調は、「イ音」を基準音として作られた「短音階」を指します。「長音階」も「短音階」も、基本は7つの音で作られており、それぞれの音の幅は2種類あります。これを日本語では「全音」と「半音」と呼びます。
 7つの音の配列のどこに「全音」の幅が来るのか、「半音」の幅が来るのか。これによって長音階なのか短音階なのかが決まります。長音階の場合、3音目と4音目の間と、7音目と1音目(オクターブ上)の間が半音、それ以外が全音で構成されています。短音階だと、2音目と3音目の間と、5音目と6音目の間が半音、それ以外は全音となります。どちらの場合も「全音5つ」と「半音2つ」の組み合わせです。長音階であろうと短音階であろうと、基本的にこのルールは変わりません。
 相対音感をより働かせるためには、決まった高さの音に名前を与える「音名」ではなく、音階の主音を基準とした「階名」を考えるようにします。長調の場合は、基準音を「ド」として、短調の場合、基準音を「ラ」として階名を振ります。長調と短調で基準音が変わるのは紛らわしい部分もありますが、その一方で「階名の名前と音程幅が完全に一致する」という大きなメリットがあります。
この読み方だと長調でも短調でも、ドとレの間は全音、レとミの間も全音、ミとファの間は半音となります。隣り合った二つの音だけでなく、例えばドとミなら長三度、ファとシなら増四度といった具合に、どのような組み合わせでも音の幅が一致します。これが相対音感の訓練のために非常に役に立つ、というわけです。
さて、理論ばかりでなく、次は練習問題に取り組んでみましょう。
 …
2019.5.29
no title

コールユーブンゲン

コールユーブンゲンを試験課題として設定している音大は数多くあります。試験課題として設定されているのはそれ単体で曲として完成されている楽譜が殆どですが、この教材の真に重要なものはそれ以外の部分にあります。ヴュルナー自身、第二版の序文で教材が正しく実施されていないことを訴えていますが、この曲集の最も重要な練習は和音練習による調性感の育成です。無視されがちな数字譜による練習も、優れた相対音感のためには有効な練習でしょう。単にピアノで弾いた通りの音程を真似して歌うだけでなく自分自身の力で音程を取る練習のため、また、音をそれ単体で取るのではなく音楽の流れの中で感じ取るような力を身につけるために利用したい教材です。

コールユーブンゲン…
2019.5.29
no title

演奏法の基礎 レッスンに役立つ楽譜の読み方

サブタイトルを見ると、とても初歩的な内容が書かれている本なのではと思われるかもしれません。ですが、音楽を演奏しようとする人すべてに役に立つ素晴らしい内容がこの本には書かれています。本は二部構成で前半後半それぞれが三つずつの章立てになっており、メトリーク・拍子とリズム・和声・聴覚反応と演奏法・楽曲とリズム構成・楽曲分析と分かれています。
和声や楽曲分析は音楽理論の知識が多少必要な内容ですが、第一章、第二章は音符を読むことが出来れば十分役に立つ内容です。まずは第一章のメトリークに関する箇所を学習するだけでもこれまでと違った視点で楽曲を捉えることが出来るようになるはずです。ひとつ残念なのは、この本はすでに絶版となっていること。問い合わせたところ出版社にも在庫はないようです。同じテーマを扱った本で現在も販売されている本はいくつかありますが、類本を一読するたびに、この本の良さを改めて感じます。

演奏法の基礎 レッスンに役立つ楽譜の読み方…
2019.5.29
no title

音名と階名2

階名唱は音を階名で歌うことを指すのですが、その説明の前にまず「音名」と「階名」が具体的にどのような「音」を表すのかを明らかにしておきましょう。
 「音名」とは「絶対的な音の高さを示すための名称」であり、「階名」とは「相対的な音の高さを示すための名称」です。「絶対」と「相対」の対比は音感にも使われます。前回出た「絶対音感」と「相対音感」です。
 前回の記事でも少し触れましたが「絶対音感」は他の音を参照せずとも音の絶対的な高さがわかる音感のことを指し、「相対音感」は基準音と与えられた音の差がわかる音感のことを指します。
 

 こうして比較すると、基準音を必要とせずに具体的な音の高さがわかる絶対音感は大変便利な能力のように見えますし、実際に役立つ場面が多いことは疑いようのないことです。ですが「絶対音感で音楽が認識出来るか」と問われれば、それはまた別の話になります。なぜなら音楽というものは一音だけでは成立しないから。ひとつの音楽を成立させるためには複数の音の集まりが必要であり、その音の集まりを音楽として認識するためには、それら複数の音の間に繋がりを感じる必要があります。私たちが「音楽を聴く」ときに「音と音の間に繋がりを感じる」のは絶対音感ではなく相対音感の力なのです。
「音楽を聴く」ということに限らず、「音楽を奏でる」ときにも相対音感は重要な働きを持ちます。音程の良し悪しは絶対的な音の高さで決まるものではなく、「関連しあう音の高さの差が心地よい幅であるかどうか」が鍵となるからです。音程は生き物のようなもので、たとえ慣れ親しんだ曲であったとしても状況に応じて微妙に変化が生じますので、常に音の幅は意識される必要があります。わずかな狂いも見逃さない絶対音感は相対音感の代わりになるかもしれませんが、前回の記事で触れた通り、絶対音感はある程度の年齢を過ぎると身につけられませんし、鍛えることも出来ません。また、絶対的な音程の認識を常としているほど、周りの音ではなく自分の頭の中に存在する基準音と比較して音程を取るため、相対音感は弱っていく傾向があります。音同士を比べない絶対的な音の高さの認識は音幅に対する感覚が薄くなりますので、結果として音程の甘さに繋がることになります。逆に言えば、音程の甘くなってしまう人は、相対音感を意識することで改善する可能性があると言えます。
 さて、そんな相対音感ですが、もちろん楽器を習ったり歌ったりすることで少しずつ鍛えられていきます。ただ、相対音感を意識した練習をするかしないかで、その効果は全然違ってきますし、特に絶対的な音程の意識が強くなればなるほど、相対音感は弱くなる傾向があります。カラオケで原曲通りの調性ならきちんと歌えるのに、調性を上げ下げすると全く音程がわからず音痴になってしまう人は、絶対的な音の高さに頼りすぎていると言えるでしょう。
 では、階名唱を使うとどうして相対音感が鍛えられるのでしょうか。というのはまた次のお話。…
2019.5.29
no title

三好達治と鷗①

合唱作品「鴎」(詩:三好達治/曲:木下牧子)をより深く考えるための参考用として、本稿および次稿に分けて三好達治自身、また彼が「鴎」という言葉へ託した想いに関する箇所を並示します。気になる引用がある場合は原著にあたってください。 『梶井基次郎、三好達治、堀辰雄集』(1954年)「三好達治君への手紙」(桑原武夫)
「三好の人物評にはよく『狷介不覊』という漢語が用いられる。彼はかるがるしく自説をまげず、容易に妥協せず、詩壇においてはむしろ孤立しているように見受けられるところをさすつもりであろう。…もちろん誰も彼を常識家とはいうまい。しかし、彼にはたとえ常識家といわれても、それを詩人の誇りを傷けるものとはしないような点がある。彼の孤独を私も否定しない。ただ彼の孤独は、信州や越前の田舎に数年を暮らし、村の人々から先生としたわれうるような境地での孤独なのである。狷介は適切な評語ではない。」 『詩への接近 詩と詩人への芸術論的考察』(1980, 杉山平一)
「三好達治は、自身の詩そのものを、〈私のうたは砂の砦だ…
もとより崩れ易い砦だ〉と規定するがもとより、この崩落性は、
弱さではない。強い自負が歌わせている。」 『駱駝の瘤にまたがって -三好達治伝-』(1987, 石原八束)
「砂の砦」について 
「私のうたは砂の砦だと自分のうたを否定したところから、新たなうたの再出発をはたそうとするのである。」
「〈私のうたは砂の砦だ〉と云いながら、しかし、〈援軍無援〉と云いきる自信もある。全部の否定ではない。」 「三好達治戦争詩の考察」(2016,徳永光展)
「三好達治は,①『捷報いたる』(スタイル社 1942年7月), ②『寒柝』(大阪創元社 1943年12月),③『干戈永言』(青 磁社 1945年6月)に総数90を超える戦争詩を残している」
詩が情報ツールとして機能を持っていた、という指摘
 ➡ 「当時としては、時流に乗るということ=戦争を鼓舞する詩を書くということであり、さもなくが言論界から身を引くという選択しかなかった」
1915年9月大阪陸軍地方幼年学校入学
1918年7月東京陸軍中央幼年学校本科入学
1920年から半年間挑戦・会寧の工兵第19大隊に赴任
 帰国後、陸軍士官学校に入学し翌年退学
➡ 「…10代後半から20過ぎまでの6年余りを軍人として教育された事実は、三好の思想を語るうえで無視はできまい。」
『梶井基次郎、三好達治、堀辰雄集』(1954年)「三好達治君への手紙」(桑原武夫)
「戦争になつて君も戦争詩を作つたが、君はやはり自然詩人であつた。…日本の戦争詩の特色として、泥にまじる血、肉片、断末魔のうめき等の文字がないのは、このためである。君のその頃のものに和歌、俳句が多く、すべて文語詩であることも、このことと無関係ではないと思ふ。(文語でも現実は歌へる。たゞ文語はその現実から今のいぶきを消し去る作用をもつてゐる。)」…
2019.5.29
no title

成功する音楽家の新習慣

音楽家に限った話ではありませんが、何かのプロフェッショナルになろうとするからには数え切れないほど勉強しなければならないことがあります。この本で挙げられているのは、音楽家になるために具体的にどのような勉強・練習をしなければならないのか、ということです。どのような曲を練習すればいいのか、具体的にどのような練習を積めばよいのか、解釈を作り出すにはどう考えれば良いのかといった演奏のための習慣だけでなく、演奏活動を続けるために意識しなければならないことや、演奏の際の不安をコントロールするためにはどうすれば良いのか等、この本の内容は多岐に渡ります。決して、簡単に上達する魔法のような方法が書いてあるわけではありません。この本に書かれていることをきちんと身につけるためには長い積み重ねが必要です。だからこそ、楽しく演奏するという段階を抜け出した音楽家の卵にこそ読んでもらいたい。日々の取り組みの指針として、必ずあなたの支えになってくれることでしょう。

成功する音楽家の新習慣…
2019.5.29
no title

【歌と自律神経】 歌は健康にいい!!・・・なぜ??

歌を歌うことが健康にいい、とよく耳にします。もちろん、ストレス発散になりますし、
歌は言葉を持っているので、唾液の分泌がよくなり、口をよく動かすので表情が明るくなります。身体を使って歌えたら運動にもなる、と様々な健康に良いとされる項目は挙がります。
 
しかしながら、なぜ歌をうたうことが、健康に直接関わりがある、ということに繋がるのでしょうか。
 
歌が健康に良いとされる大きな理由の一つは自律神経のバランスを整えることにあります。
 
ここで急に難しい言葉が入ってきました。
 
あまり聞きなじみのない言葉です。
「自律神経の乱れ」とすると少しイメージしやすいでしょうか。
 
自律神経というのは、簡単に言うと、
 
自分でコントロールできない神経です。
 
まだわかりづらいですね。ではその反対の神経は何でしょうか?
 
手や足を動かす運動神経、気持ちがいい、かゆいなどの感覚神経、
この二つを合わせた体性神経です。
この神経は外からの情報を取り入れる、という役割を持っています。
 
運動神経や、感覚神経がコントロールできる神経、と理解すると、
自律神経の役割はイメージしやすくなります。
 
 
次回は自律神経についてお話しします。…
2019.5.29
no title

音名と階名1

演奏するということは、歌にせよ楽器にせよとても楽しいことです。練習を積み重ねるうちに、もっと上手に演奏出来るようになりたい、と考える方は多いのではないでしょうか。
 上手な演奏というのは色々な要素から成り立っています。例えば歌の場合、「共感される歌詞の解釈」「美しく聞こえる発音」「正しい音程」「正確なリズム」などなど、いくつもの要素が関わり合って演奏は作られていきます。
 その中のひとつ「音程」という要素は多くの方が苦労していると感じています。音程感覚(音感)は子どもの頃から音楽に触れていると自然に発達していきますが、ある程度大人になってからいざ「音感を鍛えよう!」と思い、むやみやたらに歌っても良い音感は身につきません。この辺りは語学の習得と似ているのかもしれません。
 そこで、ここでは音感というものがどういうものなのか、それを効率的に鍛えるにはどういう訓練をすれば良いのか、ということを考えたいと思います。 「絶対音感」という言葉は多くの方が聞いたことがあると思います。これは聴こえてきた音の高さが認識できるという能力のことです。ただ、「絶対音感」にもいくつかの程度の差があります。楽器に限らずどんな音でも音の高さが認識できる人もいれば、楽器でもピアノに限り、かつ白鍵の音ならば大体わかるけど黒鍵の音はいまいちわからない、という人まで様々です。後者をここでは便宜上「なんちゃって絶対音感」と呼ぶこととしますが、これは実のところ「絶対音感」ではない可能性があります。「なんちゃって」の人は、自分の中で記憶している基準音と聴こえてくる音を比較しています。聴こえてきた音を直接判別しているわけではないため、間違いも多くなりますし、そもそも慣れている音でないと比較が出来ないので、自分が弾ける楽器以外の音は全然わからない、ということになります。
 ただ、ここで、「私、少しは絶対音感持ってると思ってたんだけど、ショック……」と思う必要は全くありません。音感は絶対音感だけではないからです。むしろ絶対音感は演奏している時にはほとんど必要のないものであり、実際に演奏している時に働かせなければならないのは「相対音感」と呼ばれる音感です。
 「相対音感」とは、ある音の高さを基準としながら、他の音の高さを相対的に測っていくような能力のことです。これは人間関係を思い浮かべると少しわかりやすいかもしれません。一人ずつ見ればどの人も同じ人間ですが、私とこの人は親子、私とこの人は友達、私とこの人は犬猿の仲……等、二人いればその間には何かしらの関係性がありますよね。音もそれと同じです。この「相対的な音の認識力」を「相対音感」と呼びます。「絶対音感」は子供の頃でないと身につかないと言われていますが、「相対音感」は練習次第でいつからでも身に付けることができます。では、どうしたら身につけることができるのか。この訓練に便利なのが「階名唱」です。…
2019.5.29
no title

わたしはいま

色々な人との縁があって、今わたしはここに書く文章を考えています。
思い返せばうん十年、良いことも悪いこともたくさんあったわけですが、何かが少し違っていたら、何かもっと違うものを好きになっていたら、ここでこうしてパソコンに向かって唸ることはなかったのかもしれません。
そしてまた、今これを書いたことでこの先の人生に変化が起こるのかも。 人間は変化を恐れる生き物だ、と「チーズはどこへ消えた?」という本に書いてありましたが、ここで文字を書き連ねる行為も、わたしにとっては一つの変化。変化は怖いが、変わらなければ終わる。わたしはいま、変化したいと願っています。 ここ(murmur)は、その時その時考えていること、あるいはむかーしどこか遠くで考えて書いていたものを載せていく予定です。
期待、は、してはなりますまい。低い期待値の少し上をいく、そんなつぶやきを目指します。…
2019.5.29
no title

【歌と自律神経】 自分でコントロールできない、自律神経とは!

自律神経は、内臓や、血管などの動きをコントロールし、体内の環境を整える神経です。
自分の意志とは関係なく、独立して働いています。
食べたものを消化したり、汗をかいたりする時に意識している人はいないでしょう。
 
自律神経は2つの神経が交互に作用しています。
一つは交感神経、もう一つは副交感神経です。
 
この2つの神経のバランスが崩れた時、イライラする、過食、拒食、不眠、怠惰感など様々な体の異常が起こります。これが、自律神経のバランスが崩れた状態です。
 
交感神経は主に起きているときの神経です。
活発な活動に応じて全身に血液を送るために心臓を動かし、血圧も上昇します。
瞳(瞳孔)は拡大し、のどが渇きます。胃液の分泌は少なくなるので、食欲が落ちます。
膀胱、直腸周辺は緊張し、排せつがしにくかったり、便秘がちになります。
緊張やストレスを感じた時、上記のことを感じることが多いのではないでしょうか
 
副交感神経は主に寝ているときの神経、リラックスしているときの神経です。
呼吸は深く遅く、心臓はゆっくり動き、血圧は下降します。
瞳(瞳孔)は縮小し、唾液(消化液)は増え、胃液などの分泌は多くなり、食欲は増します。
膀胱、直腸周辺は緩み、排せつを促します。
 
 
交感神経がオンになっているとき、副交感神経はオフになっています。
日常生活の中でバランスよく引き出せるようにすることで、心と身体のバランスを整えることができます。
 
 
次回は歌との関係についてお話します。…
2019.5.28
no title

【歌と自律神経】 自律神経を整えるには・・・

朝起きて、まだ眠かったり、身体がだるくてなかなか動けなかったりすることはありませんか?
そういう時は息をたくさん吸って、伸びをしてみましょう。
目が開いて、頭がすっきりします。
 
それとは逆に、夜眠れない時は吐く息を長く、ゆっくり深呼吸してみましょう。
身体がリラックスして眠りに入りやすくなります。
 
交感神経は吸う息に、副交感神経は吐く息に大きく関係しています。
 
自律神経を整えるのに有効な手段は、呼吸なのです。
 
さて、歌はどうでしょう。
 
呼吸なしには歌はうたえません。息を吸って、吸った息を吐いて音を出します。
意識して自律神経を整えるための呼吸法を行わなくても、
自然に歌をうたうことで吸う息と吐く息のバランスが均等に近づくのです。
 
その結果、自律神経も整い、心も身体も健康に導くことができると考えられるのです。
 
呼吸を大切に、意識しながら歌をうたうことで「歌は健康にいい」ということが自分の体で実感することができるでしょう。…
2019.5.20
no title

【2019】よびごえ日誌 vol.003

2019年度も本格的に稽古が進み始めました。
みなさんには申し訳ないながらも、私が稽古に参加できる日が少なく、ほとんどの稽古を団員が担ってくれています。
音が取れるようになること、全パートと合わせる中で自信をもって歌唱できるようになること、まずはこれらの目標に向けてどのような手順を使えばよいのか、一人一人が試行錯誤をしているのではないかと感じています。
 
今日の稽古は少しだけ顔を出すことができたため、伊藤さんが指導しているところから見学ができました。楽譜に書いてある音と、実際に鳴っている音を聴き比べながら丁寧に音を合わせていく稽古でした。1フレーズ歌い終わると、団員からは「ここの音が取れないんだよね…」「ここはこんな感じでいきますね」など、パート内で声が漏れ、全体の指導を受けていながらも、音楽が少しでも良くなるように自分たちでも工夫をし、1人1人が主体的な試行錯誤をする場となっていました。
 

 
私も少しだけ稽古に首を突っ込みましたが、そこではアカペラの曲に伴奏をつけて弾いてみたり、「この曲の良いところを5つ言ってみて!」とアルトに答えてもらったり、どうしてみんなはこの曲を柔らかく歌おうって思ったの?(どうして荒く歌ってはいけないのか)、と曲のイメージを生成するためのアクションや質問を重ねました。
 
どうしても常套的な合唱指導はまずテクニック面を音楽の本質から切り離して稽古し、ある程度安定してきたときに曲の解釈、表現の仕上げを行う傾向があります。これは1つの方法として確立されていますし、まずは正確に歌えないと本番上手に歌えないのではないか、という不安が残るがゆえに定評を得ているのではないかと、個人的には感じています。
 
三善晃は、自身が譜読みを行う際に、曲が何を言わんとしているのか、どんな音楽的な世界がそこに拡がっているのか、イメージを十分に形成したうえで、その世界観に到達できるための稽古を重ねることを推奨しています。この考え方を上記の従来の指導法と突き合わせてみると、従来の指導法では「音取り➡曲の解釈➡表現の調整(仕上げ)」、三善流だと「曲の解釈➡音取り+表現」となります。どちらが良いか、それを安易に断言することはできませんが、少なくとも両者では、そのプロセス間での「合唱体験」が異なることは重要な点です。
 
従来型の指導法は、合唱作品を仕上げるための要素を分断し、1つずつ丁寧に積み上げていこうとする傾向がある反面、それ以外の要素を排除するという側面も持っています。そのため、音をとる段階では、曲の内容は知らなくても実施できる、という状況が生まれます。
一方、三善流の場合は、曲の世界観や背景を分かったうえで音をとるため、要素が混同しているとも言えます。しかし、音をとる段階から作品の世界に自身の身を置くことができるため、淡々と音をとる際にも、その音の質感を考慮することができます。
つまり両者について、音取りという活動の質が異なり、それゆえに団員の「合唱体験」は異なっている、と言えるでしょう。
 
たった1つのプロセスの違いでも、合唱という場の意味は変わってきます。
まずは様々な合唱指導のスタイルを経験し、自分でも実施してみることはとても大事です。そうした試行錯誤を重ねること、またその試行錯誤を目前にすることで、団員1人1人が成長していくことを期待しています。
 
 
 
そんなことを思いながら稽古の見学や実施を終え、振り返りでは、詩について意識が向いていなかったこと、詩を振り返ると丸い言葉が多いこと、「ゐ」が使われているのが良い!という詩に目を向けた意見や、次に来る和音が予測できないから音取りがしづらい、合唱も声楽の発声で良いと言われるけどよくわからないという歌唱技術に着目した意見、全体の前で指導することの難しさを実感したという指導法に関する意見などが出ました。
 
それぞれの課題をとりあえず共有してみる、というところから、自分の課題を誰かの頭が考えてくれる、ということが始まります。自分の課題を自分の力で解決することも大切ですが、時には、誰かの頭を借りて一緒に考えてもらうことも良いかもしれません。そうして、仲間ができていくのかもしれませんね。
 
5月病、梅雨に負けずにがんばりましょう!
  小田…
2019.5.13
no title

【2019】よびごえ日誌 vol.002

2019年度、1年生を含めた新体制の初回稽古が始まりました。
 

 
7月7日(日)出演予定の東京都合唱祭の曲が以下に決まったため、まずはそれに向けたパート分けを行いました。
 
 『きまぐれうた』「恋」(みなづきみのり作詩/土田豊貴作曲)
 『なみだうた』「雨のあと」(金子みすゞ作詩/信長貴富作曲)
 
つい数か月前まで混声合唱を行っていたよびごえですが、今年度は女声合唱からのスタートです。
混声合唱には混声合唱の響き、女声合唱には女声合唱の響きがあると個人的には考えており、これは単純に、複数人が集まって声を出し合うだけで成立するものではありません。響きを作るための理論と合唱の歴史的文脈の中で形成されてきた価値観とがポイントになると思われます。
 
そこで今日は、女声合唱の響きを自分たちなりに整理するためのワークを行いました。
 
ワークの内容として、まず、3つのグループ(パートごと)に分かれ、じゃんけん等を行いリーダーを決めました。
 
その後、事前に準備した以下の4曲を順に聞き、その演奏の特徴をグループごとに整理しました。
また、今回選択した2つの時代を考慮に入れ、約30年前と今、その時代ごとの発声や言葉のさばき、音楽の表現などに変化が見られるかどうかを整理しました。
 
1989年 鹿児島女子高等学校 「いま」 (阪田寛夫作詩/尾形敏幸作曲) 1991年 安積女子高等学校  「聞こえる」 (岩間芳樹作詩/新実徳英作曲) 2017年 大妻中野高等学校  「君が君に歌う歌」 (Elvis Woodstock作詩/大島ミチル作曲) 2018年 豊島岡女子学園高等学校 「ポジティブ太郎~いつでも始まり~」 (つんく作詩/上田真樹作曲)  
時間の都合があるにせよ、たった4曲を聴いただけで時代比較を行うことは強引なのですが、ただし、女声合唱が約30年を経てどのように変化したのか、そしてこれから30年後の女声合唱はどうなっているのだろうか、という問いを得るためにこのワークを行いました。
 
1989-1991年から2017-2018年に向けて女声合唱はどのように変化したのかについて、学生の意見をカテゴリーごとに整理してみました。
 …
2019.4.8
no title

【2019】よびごえ日誌 vol.001

2019年度の新歓1日目は、ミニコンサートで「にじ色の魚」「夢みたものは…」「今日の日」「狩俣ぬくいちゃ」を歌い、その後は見学に来てくれたみなさんと一緒にワークをしました。
 
最初のワークは、まず「夢みたものは…」の前半を音取りしたあと、「楽譜通りに歌う」ということを意識して歌唱しました。その後、では「楽譜通り」と言われてなにを意識したのか、1人1つずつ発言しました。例えば、以下のような意見がでました。
 
 ・強弱
 ・音の長さ
 ・拍子感
 ・音程
 ・フレーズ感
 ・言葉の節目
 ・言葉のニュアンス
 ・歌詞をまちがえない
 
これは、楽譜にはどのような情報が書かれてあるのか、私は楽譜に何が書いてあると認識しているのか、これらを改めて考えるためのワークです。「楽譜ってそもそも何…?」という意見も出ましたが、これはとても良い問いだと感じましたし、いろいろな情報が含まれている楽譜をもう1度捉え直すきっかけになったのではないかと思います。
 
例えば、誰が読んでも同様に読み取れる情報として、調性や和声、形態(アカペラ、混声3部合唱等)などが楽譜に書かれている一方で、可変的な情報も含まれています。例えば、詩や強弱記号等、「私」と「あなた」ではその意味や程度が異なる可能性があるものです。楽譜とはそのような情報の総体であり、「楽譜通りに歌う」という試みは、自分と音楽の関係を問い直すためのキーワードなのかもしれません。
 
2つ目のワークでは、上記の中に出てこなかった、無意識の中で感じている音楽へのバイアス、というものを取り扱いました。今回、「夢みたものは…」を歌う時、だれ一人として荒っぽい歌い方をせず、自然に柔らかく歌唱しようとしていましたが、楽譜のどのような条件が私たちをそのような歌唱へと導くのか、考える事にしました。
 
全体を5つのチームに分け、チーム名を考え、各チーム最低5つは要素を出すこととしました。チーム名は、「タピオカ元年」「八宝菜」「チーム女子力」「1/2長野県民」「いちごGUMI」など、個性が結集しました。
 

 
「mpから始まる指示があるから強くは歌えないのではないか」「タイトルに『夢』がつくからそのイメージにひっぱられるのではないか」「和声構造がシンプルなことに原因があるのではないか」など、全員の意見を共有することで、「柔らかい」と感じてしまう音楽の条件が自然と整理されていきました。
 
なぜ私たちはある音楽を柔らかいと感じ、ある音楽は固いと感じるのか。今回は「夢みたものは…」の持つ質感を「柔らかい」というキーワードを頼りに考えてみましたが、この先、日常生活のなかにありふれているモノの「柔らかい」と音楽における「柔らかい」の間に共通点を探そうとするとき、そこにはきっと、学びが拡がっていく喜びがあるのだと思います。
 
今回のワークは計1時間のため、各自が疑問やもやもやを持ち帰ってくれるといいな、と思い課題を設定しましたが、それらを抱えながら、これから始まる大学4年間の学びのスタートしてくれるといいな、と感じています。
 
みんな、入学おめでとう!楽しい学びの世界が拓かれますように!
 
  小田…